2011年10月10日月曜日

教育にもデザインは押し寄せるか?

教育現場は疲弊している。

ずっと前から言われていることです。私が教員を志したときにはすでに言い古されていたくらい。それでも、今もなお、そんなことが聞かれます。

なぜ、そんな疲弊しているのかと言うと、教育現場に求められる内容が時代に応じて増えてきたからに他なりません。
今の子どもたちは、魚と言えば切り身しか見たことがなく、切り身の状態で海を泳いでいると信じている子もいる、とかかんとか言われると、授業に環境教育なる項目ができたのです。授業でやるということはつまり、計画書があって報告書があります。教師の仕事は授業以外にも一気にどんと増えることになるのです。

そんな具合で、これからはITの時代だと世間で言われ始めると、ITが何なのかも分からない人間が学校現場に情報教育を持ち込みました。グローバルの時代だと猫もしゃくしもグローバルグローバルと泣き始めると、学校現場には英語教育が持ち込まれました。

そう、学校現場には何でもかんでも「やったほうがいいのではないか」というものはすべて持ち込まれるようになっているのです。

やったほうがいいことがたくさんあるのは、当たり前です。なんだって、やらないよりはやったほうがいいのです。学ばないよりは学んだ方がいいのです。学ばない方がいいことなんて、何一つとしてありません。学ばない方がいいなんて、学んだ後にしか言えないからです。

だから、コメンテーターにしろ、教育評論家にしろ、識者と呼ばれる人間は、ああしたほうがいい、こうしたほうがいいと、学校現場に「やったほうがいいこと」を持ち込んできたのです。その結果、学校現場は、教師は、疲弊しています。

もうそろそろ、やめようじゃないですか。

付加の時代は終わったのです。

付加価値、付加価値とメーカーがこぞって叫んで多機能を目指したゼロ年代、「後からくっ付けることのできる価値に大したものはない」とばかりに、デザインも機能も削り込んで本質の価値を追求したAppleが日本メーカーを瞬く間に抜き去ったのを思い出しましょう。

今、広告にしろ、ファッションにしろ、プロダクトにしろ、デザイナーの仕事は削ることです。
膨大な機能を、
数多くのボタンを
余分なシールを、
しがらみを、
過去の栄光を、
アンケートという呪縛を、
勇気と決断で削ることが、デザイナーの仕事です。

そのデザインという四文字は、今、あらゆる分野にまで及んでいます。なんせ、「息をデザインするガム」まで出てくる始末ですから。

デザインよ、早く教育界に来い。

膨大に膨らんだカリキュラムを、事務手続きを、計画書に報告書を、手書き文書を、今こそ、削らなければなりません。
「やったほうがいい」「あったほうがいい」ことなんて、「やらなくてもいい」「なくてもいい」のです。

21世紀を生きる子どもたちのために、本当に必要なことを、学校でしかできないことを考え、フォーカスし、実行しましょう。着膨れした教育現場を削るのです。