2012年6月23日土曜日

教科書はタブレットになるか?

Windowsからも自社製のタブレットが発売されるようで、またスマートフォンも大型化されるようで、世界のIT話題はタブレット一色です。

というわけで、教育界にもタブレットを、という声が聞こえてきます。

教科書がタブレットになれば、音も映像も付き、ノートも兼ねることができ、そして何冊も持ち歩くことがなくなり、学年が変わってもコンテンツのアップデートだけですむ。
内容も、利便性も、コストもいいことづくめのような大合唱です。
眉をひそめているのは、ITが苦手な年配教師だけ・・・?

しかし、です。
大学生はともかくとして、小学生の教科書やノートをタブレットにしていいのでしょうか?

私は反対です。タブレットがこの先、さらに薄く美しく軽くなったとしても、反対です。
私はいつもこのブログをiPodtouchで書いています。少々の文章もiPodtouchで書きます。成績処理はエクセルでやり、プリントやワークシートはパワーポイントやワードを使います。ITのありがたさはよく分かっているつもりです。

しかし、小学生の授業にタブレットはいりません。
まず第一に、壊れるからです。残念ながら、壊れないタブレットはありません。

しかし、現在、教科書やノートは壊れません。落としても、投げても、折り曲げても壊れないのです。フリーズすることもないし、ブラックアウトすることもありません。

それほどの丈夫さを、確実さを、恒常性をタブレットが実現できますか?

子どもたちがふだんどのように教科書を扱うのか、見たことがありますか?

一日に何回教科書を机から落とすのか、知っていますか?

タブレットパソコンを使った授業をしたこともあります。そのときは、フリーズに備えて常に余分にタブレットパソコンを用意する必要がありました。

もちろん、電池切れにも配慮しなければなりません。誰か一人でもポップアップの警告が出るたびに授業は止まります。
たまのパソコンの授業ならともかく、毎時間それをやることは勘弁願いたいものです。

タブレットが教科書になるには、まだまだ時期尚早のように思います。

また、タブレットは子どもたちから「用意する」「準備する」行為を奪う可能性があります。

あらゆる教科書がコンテンツとして入っているということは、「時間割に合わせて用意する」ということをしないことになります。もちろん、絵の具や体操服は用意する必要がありますが、国語算数社会理科などの準備はほぼ無くなるのです。

もちろん、今でも時間割に合わせて用意などしない子もいます。常にあらゆる教科書をランドセルに入れているのです。従ってその子たちは教科書とノートに関しては忘れものをしません。

しかし、一様に机からいつも荷物が溢れ、床にものが落ちています。たくさんの荷物を押し込んでいるのだから、溢れるのはあたり前ですが、それ以上に片付けが苦手な子が多いように思います。

タブレットは、子どもたちから時間割を奪い、片付け下手にする可能性があるかもしれません。

また、タブレットの歴史は浅く、まだまだ発展途上です。

六年間、紙の教科書を準備するよりも、タブレット一台準備する方が、紙や印刷、運送コストを削減できるという意見があるそうですが、果たして本当でしょうか?

みなさんは六年前のパソコンをまだ快適に使っていますか?
六年前のケータイを今もストレスなく使っていますか?

それを考えれば「タブレット一台あれば・・・」なんて考えは甘いと言わざるをえません。

iPadが優れたデバイスであることは確かでしょう。今までの勉強方法や学びの仕方を変える側面を持っていることも確かです。

しかし、「教科書をタブレットに」という考えは今の子どもたちを見ていても無理があり、かつ望ましくないと思われます。

また、タブレットなんてほっといても、自然に子どもたちは使えるようになるでしょう。学校がわざわざ教えることではありません。

というわけで、全国の教育委員会のみなさん、文科省のみなさん、今、タブレット熱に冒されてはいけません。まだ発展途上です。今、税金をつかうべきではありません。4、5年後には使い物にならなくなります。タブレットという商品が完全に成熟し、世の中が本当にペーパーレスになったとき、考えてもいいのでは?