2013年2月9日土曜日

教師はなぜ心を病むのか?

文科省が先日発表したところによると、心の病や精神疾患で休職した公立高中小学校の先生は2011年度で5274人。
公立高中小学校の先生は日本全国で約90万人いますから、0.6%にあたります。パーセントでみると何だか少ないような気がしますが、200人に1人もいることになります。

これはすごい数字です。
乱暴に言うならば近所の3〜5校の中に1人はいることになります。

病気をした先生ではありません。病気で仕事を休むことになった先生でもありません。心の病気で仕事を休むことになった先生が、です。

また、療養休暇を取った教師のうち、心の病が原因とする人が6割を超えています。

教師はガンや脳卒中よりも、精神疾患を気にしなければならないのです。こぞってガン保険に入るより、心の保険に入る必要があります。

しかし、一口に心の病と言っても、教師たちはどんなことで心を病むのでしょうか?

まず、第一に挙げられるのは、「多忙」です。

教師の多くは、事務処理を円滑に進めることに希望を抱いて教師になったわけではありません。

話があっちへこっちへ飛びに飛びながら怒りをまくし立てる保護者や近隣住民のクレームをうまくなだめることにやり甲斐を感じているわけでもありません。

ましてや、書式も用紙サイズもバラバラで、コピーにコピーを重ねたような書類ばかりで、意味があるのかないのか分からない多数決が横行する職員会議で活発に意見を言うために教師を志したのではありません。

子どもたちの成長する姿を間近で見たくて、自分が今まで見聞きしてきたことを次の世代に伝えたくて、これからの日本を支える人材を育てたくて、そして、なにより子どもと遊ぶことが好きで、学校は楽しいところだと子どもたちに伝えたくて、教師になったのです。

ところが、現実は違います。もちろん、8:30から15:00くらいまでは、授業や給食でずっと子どもたちといっしょです。クラスでケンカや問題行動があったときは、教師だって落ち込みますが、子どもたちは基本的には楽しいことが好きで楽しい雰囲気を作りますから(ふざけすぎることもありますが)、それにつられて教師も心を持ち直せることが少なくありません。

体は疲れますが、心が病むことは少ないように感じます。

しかし、ひとたび子どもたちが下校すれば、そこからは大人の世界です。会議や打ち合わせが波にように次から次へと襲ってきます。

「あの子、今日の算数分かってなかったから、ちょっと残して教えようか」
などと思っても、会議がそれを許してはくれません。

目の前の子どもが困っているのを見過ごして、会議に出なくてはならないのです。

私の学校に、大人の都合よりも子どもを優先するのが教師だと、打ち合わせがあるのを分かっていながら、子どもの勉強をみた若い教師がいますが、あとでこっぴどくベテランから注意を受けました。

「周りを見ろ、全体を考えろ」と。

放課後の教師の現実です。テレビドラマのように、ふらりと子どもの家に寄って他愛ない話をしたり、一緒に遊んであげたりする教師の姿は今はもうほとんど見られないはずです。

発達障害傾向のある児童を理解するための研修会、問題行動の多い児童を共通理解する会議、子どもたちの学力を補償する手立てを考える会議、など、本来ならば子どもたちを救うための会議であったとしても、それらが増えれば増えるほど、現実は目の前の子どもたちを置き去りにすることにつながっているのです。

教師に憧れた人であればあるほど、子どもたちのことを愚直に考える人であればあるほど、良心に呵責を感じ、心を病むことになります。

追い打ちをかけるのが、水面下で行われるパワーゲームです。

各学年や各担当同士で、いかに自分たちがスムーズに仕事をこなせるか、いかに思い通りにことを運ぶか、その押し合いが毎日のように行われます。お互いが多忙ですから。

もちろん学校によっては、水面下などではなく、職員会議や朝礼などではっきりさせるところもあるでしょう。

しかし、女性教師が多い小学校では噂話をいつの間にか既定路線に持ち込んだり、ベテランをいかに自分たちの味方に巻き込むかに躍起になったり、といったせめぎ合いが日常茶飯事なのです。

この気の遣い様や、または気を遣うくだらなさに、きっと真面目な教師は疲れ果ててしまうのです。
こんなはずではなかったと理想と現実に挟み潰されるのです。

そしてもうひとつの大きな原因はやはり「保護者」です。

いつからか「地域に開かれた学校」というスローガンが定着し、地域住民や保護者が学校を評価する時代になりました。

ぐるなびやホットペッパーと同じです。レヴューに星です。

もちろん、学校には評価サイトはありませんから、アンケートという形になります。
アンケートは匿名ということもあって、ときには厳しい意見が来ます。「これは私のことだろうな」と、すぐに気がつくこともあります。

しかし、これはまだありがたいことなのです。厳しいですが、きちんと手順を踏み、枠組みの中で意見をおっしゃっているのですから。

問題は枠組みの外です。

子ども同士のトラブルは、まずは子ども同士で話し合って解決させたいと教師は考えます。将来、必要な能力だからです。

ところが、子どもがお父さんお母さんに訴えたときに、親御さんがいきなり相手に連絡を取ったり、学校に怒鳴り込んだり、あの子は要注意などと噂を回したりすると、ややこしくなることがあります。

教師も子ども同士の解決だけでなく、親同士の間に立たなければならないことも多く、両方をともにソフトランディングさせるのは難しい仕事です。その際、必ずと言っていいほど、親御さんたちの矛先は教師に向かいます。

「指導ができていないんじゃないですか」
「クラスが荒れてるんじゃないですか」
「先生にはまだ高学年は無理なんじゃないですか」

子ども同士でなんともならないことは多くはありません。子どもの心は憎しみをいつまでも抱えていられるほど強くはないように思います。

しかし、親御さん同士のこじれは、残ります。同時にそれは教師に対する不信感となります。

手間をかけ、時間をかけ、心を砕いたのにも関わらず、残念な幕引きをせざるを得なかったときの心労は後を引きます。

重ねて、
「あの先生は頼りにならない」
「あの先生は事なかれ主義だ」
「あの先生は何もしてくれない」
などと、保護者の間でメールや噂が回ることもあります。

最悪の場合は、子ども同士のトラブルがいつの間にか学校の管理責任問題となり、教師を罷免させようという動きになります。

昨今、メディアでは体罰のニュースが次から次へと出てきますが、
おそらくはほとんどの教師は、叩けばホコリの出る身です。
慣れた弁護士が教師を罷免させようと丹念に聞き回った上で、法を振りかざしたら、いつかの一言で、いつかの指導方法で、いつかの対応ミスで、教師は法に屈することになるでしょう。

謝罪の上に、戒告や懲戒処分が待っているはずです。

もちろん、ここまで来るときには既に多くの教師はまともに仕事を続けられません。精神を病んでいることでしょう。

たとえ、気丈に教壇に立っていても、裁判に持ち込まれては、その教師は今後どこへいっても、事件を引きずることになるため、教育委員会が間に入り、仲裁するのではないでしょうか。

担当教師は異動させる。そのかわり、告訴は取り下げてくれとかかんとか。

それによってもまた教師はほとぼりが覚めるまで、自宅療養となり、分類としては「心の病」にさせられるのではないでしょうか。

以上が現在私が学校現場にいて、見えている「心の病」の正体です。ま、多少の憶測を含みますが。

先生たち、がんばれ!

なんて、とても言えません。

まず、業務とくに報告や会議をスリム化すること。
次に保護者対応の専任担当者を置くこと。(ベテラン退職教員なんかがいいですね)

文科省のみなさん、こんなブログ読まないと思うけど、頼みますよ。5000人が療養休暇取るより、コストかからないでしょ?

2013年2月3日日曜日

日教組は民主党敗北をどう乗り越えるのか?

教育の政治的中立はありえない。

日教組のドン、民主党幹事長・輿石東の言葉です。
政権を握っていた政党の幹事長のセリフとは思えないくらいの暴言と思う人もたくさんいるでしょうが、残念ながら日教組は大っぴらに民主党を支持しています。組合員の先生たちは、この選挙にあたって、たくさんの電話をかけビラを配り、演説に動員されています。

もちろん、公務員の政治活動は制限されていますから、当然教育委員会も選挙前に通達を出します。

政治活動は制限されている。
公に奉仕する公務員の立場を忘れるな。
世間の目は厳しくなっているぞ。

という内容の。

しかし、それはそれとして、組合員の先生たちは、政治活動をせねばならんのです。中央からの指示もあるでしょうし、支部同士の見栄の張り合いもあるでしょう。それに政権の中枢におわす方が、力強いことを言っているのですから。

しかし、世の中の日教組バッシングは止まりません。連合や民間の労働組合はそうでもないのですが、日教組へのバッシングはこの選挙でも民主党への、とりわけ輿石東へのバッシングとなって表れていたように思います。
彼が衆議院議員だったなら、間違いなく小選挙区では敗北していたでしょう。

民主党大敗の責任は、野田佳彦ではなく、野田佳彦にことごとく反目し、党内外を混乱させた輿石東にあるはずです。私は取り立てて輿石東が嫌いでも好きでもなく、風貌としてはリーダーではないなぁ、スーツがオーバーサイズだなぁ、くらいしか思わなかったのですが、選挙後の彼の沈黙ぶりはずるいと思うのです

しかしながら、これだけ維新だ、未来だ、みんなだと大騒ぎになっても投票率は半分もないのなら、大きくはなくとも日教組という確実な票田を持つ輿石東の存在は民主党内では大切でしょう。彼の野田佳彦に対する態度からも分かります。

しかし、民主党は維新の会と同議席しか獲得できず、ましてや無党派層に民主党支持者は極めて少ないとするのなら、世論は民主党に対しては、選挙結果以上に厳しいものになるはずです。

いわんや、日教組をや。

民主党が政権についていながら、日教組ができたことと言えば、心のノートを事業仕分けに持ち込んだくらいで、他のことはてんでだめでした。

期末手当ても維持できなかったし、教員の免許更新制度も廃止にできなかったし、共済保険の独立性も保てなかったし、朝鮮高校の無償化も実現できませんでした。

そんな日教組が自民党政権下ではいったい何ができるのでしょう?

きっとデモをしたり、署名をしたりと、地道な活動は続けることでしょう。しかし、教育行政は日教組を置き去りにして進んで行くはずです。
しかし、そもそも組合活動とはそういうものかもしれません。労働組合は自分たちの支持者が政権を握っていては、反対運動がしにくくて仕方ありません。
しかし、労働組合のアイデンティティとしては、「労働者の声を聞け!」「現場は疲弊している!」と叫ばずにはいられないのです。

だとすれば、ただ形だけのデモをしていた民主党時代よりは、明らかな敵対勢力である自民党時代のほうが、日教組は組合活動に気合が入るかもしれません。

たとえ、それが徒労に終わったとしても。

さて、学校週6日制の復活が喧しい昨今ですが、日教組はどんな活動を見せるでしょうか?
楽しみなところです。

子どもの基礎学力か教師の労働条件か?

これはこの問題として私も考えてまた書きたいですね。