文科省が先日発表したところによると、心の病や精神疾患で休職した公立高中小学校の先生は2011年度で5274人。
公立高中小学校の先生は日本全国で約90万人いますから、0.6%にあたります。パーセントでみると何だか少ないような気がしますが、200人に1人もいることになります。
これはすごい数字です。
乱暴に言うならば近所の3〜5校の中に1人はいることになります。
病気をした先生ではありません。病気で仕事を休むことになった先生でもありません。心の病気で仕事を休むことになった先生が、です。
また、療養休暇を取った教師のうち、心の病が原因とする人が6割を超えています。
教師はガンや脳卒中よりも、精神疾患を気にしなければならないのです。こぞってガン保険に入るより、心の保険に入る必要があります。
しかし、一口に心の病と言っても、教師たちはどんなことで心を病むのでしょうか?
まず、第一に挙げられるのは、「多忙」です。
教師の多くは、事務処理を円滑に進めることに希望を抱いて教師になったわけではありません。
話があっちへこっちへ飛びに飛びながら怒りをまくし立てる保護者や近隣住民のクレームをうまくなだめることにやり甲斐を感じているわけでもありません。
ましてや、書式も用紙サイズもバラバラで、コピーにコピーを重ねたような書類ばかりで、意味があるのかないのか分からない多数決が横行する職員会議で活発に意見を言うために教師を志したのではありません。
子どもたちの成長する姿を間近で見たくて、自分が今まで見聞きしてきたことを次の世代に伝えたくて、これからの日本を支える人材を育てたくて、そして、なにより子どもと遊ぶことが好きで、学校は楽しいところだと子どもたちに伝えたくて、教師になったのです。
ところが、現実は違います。もちろん、8:30から15:00くらいまでは、授業や給食でずっと子どもたちといっしょです。クラスでケンカや問題行動があったときは、教師だって落ち込みますが、子どもたちは基本的には楽しいことが好きで楽しい雰囲気を作りますから(ふざけすぎることもありますが)、それにつられて教師も心を持ち直せることが少なくありません。
体は疲れますが、心が病むことは少ないように感じます。
しかし、ひとたび子どもたちが下校すれば、そこからは大人の世界です。会議や打ち合わせが波にように次から次へと襲ってきます。
「あの子、今日の算数分かってなかったから、ちょっと残して教えようか」
などと思っても、会議がそれを許してはくれません。
目の前の子どもが困っているのを見過ごして、会議に出なくてはならないのです。
私の学校に、大人の都合よりも子どもを優先するのが教師だと、打ち合わせがあるのを分かっていながら、子どもの勉強をみた若い教師がいますが、あとでこっぴどくベテランから注意を受けました。
「周りを見ろ、全体を考えろ」と。
放課後の教師の現実です。テレビドラマのように、ふらりと子どもの家に寄って他愛ない話をしたり、一緒に遊んであげたりする教師の姿は今はもうほとんど見られないはずです。
発達障害傾向のある児童を理解するための研修会、問題行動の多い児童を共通理解する会議、子どもたちの学力を補償する手立てを考える会議、など、本来ならば子どもたちを救うための会議であったとしても、それらが増えれば増えるほど、現実は目の前の子どもたちを置き去りにすることにつながっているのです。
教師に憧れた人であればあるほど、子どもたちのことを愚直に考える人であればあるほど、良心に呵責を感じ、心を病むことになります。
追い打ちをかけるのが、水面下で行われるパワーゲームです。
各学年や各担当同士で、いかに自分たちがスムーズに仕事をこなせるか、いかに思い通りにことを運ぶか、その押し合いが毎日のように行われます。お互いが多忙ですから。
もちろん学校によっては、水面下などではなく、職員会議や朝礼などではっきりさせるところもあるでしょう。
しかし、女性教師が多い小学校では噂話をいつの間にか既定路線に持ち込んだり、ベテランをいかに自分たちの味方に巻き込むかに躍起になったり、といったせめぎ合いが日常茶飯事なのです。
この気の遣い様や、または気を遣うくだらなさに、きっと真面目な教師は疲れ果ててしまうのです。
こんなはずではなかったと理想と現実に挟み潰されるのです。
そしてもうひとつの大きな原因はやはり「保護者」です。
いつからか「地域に開かれた学校」というスローガンが定着し、地域住民や保護者が学校を評価する時代になりました。
ぐるなびやホットペッパーと同じです。レヴューに星です。
もちろん、学校には評価サイトはありませんから、アンケートという形になります。
アンケートは匿名ということもあって、ときには厳しい意見が来ます。「これは私のことだろうな」と、すぐに気がつくこともあります。
しかし、これはまだありがたいことなのです。厳しいですが、きちんと手順を踏み、枠組みの中で意見をおっしゃっているのですから。
問題は枠組みの外です。
子ども同士のトラブルは、まずは子ども同士で話し合って解決させたいと教師は考えます。将来、必要な能力だからです。
ところが、子どもがお父さんお母さんに訴えたときに、親御さんがいきなり相手に連絡を取ったり、学校に怒鳴り込んだり、あの子は要注意などと噂を回したりすると、ややこしくなることがあります。
教師も子ども同士の解決だけでなく、親同士の間に立たなければならないことも多く、両方をともにソフトランディングさせるのは難しい仕事です。その際、必ずと言っていいほど、親御さんたちの矛先は教師に向かいます。
「指導ができていないんじゃないですか」
「クラスが荒れてるんじゃないですか」
「先生にはまだ高学年は無理なんじゃないですか」
子ども同士でなんともならないことは多くはありません。子どもの心は憎しみをいつまでも抱えていられるほど強くはないように思います。
しかし、親御さん同士のこじれは、残ります。同時にそれは教師に対する不信感となります。
手間をかけ、時間をかけ、心を砕いたのにも関わらず、残念な幕引きをせざるを得なかったときの心労は後を引きます。
重ねて、
「あの先生は頼りにならない」
「あの先生は事なかれ主義だ」
「あの先生は何もしてくれない」
などと、保護者の間でメールや噂が回ることもあります。
最悪の場合は、子ども同士のトラブルがいつの間にか学校の管理責任問題となり、教師を罷免させようという動きになります。
昨今、メディアでは体罰のニュースが次から次へと出てきますが、
おそらくはほとんどの教師は、叩けばホコリの出る身です。
慣れた弁護士が教師を罷免させようと丹念に聞き回った上で、法を振りかざしたら、いつかの一言で、いつかの指導方法で、いつかの対応ミスで、教師は法に屈することになるでしょう。
謝罪の上に、戒告や懲戒処分が待っているはずです。
もちろん、ここまで来るときには既に多くの教師はまともに仕事を続けられません。精神を病んでいることでしょう。
たとえ、気丈に教壇に立っていても、裁判に持ち込まれては、その教師は今後どこへいっても、事件を引きずることになるため、教育委員会が間に入り、仲裁するのではないでしょうか。
担当教師は異動させる。そのかわり、告訴は取り下げてくれとかかんとか。
それによってもまた教師はほとぼりが覚めるまで、自宅療養となり、分類としては「心の病」にさせられるのではないでしょうか。
以上が現在私が学校現場にいて、見えている「心の病」の正体です。ま、多少の憶測を含みますが。
先生たち、がんばれ!
なんて、とても言えません。
まず、業務とくに報告や会議をスリム化すること。
次に保護者対応の専任担当者を置くこと。(ベテラン退職教員なんかがいいですね)
文科省のみなさん、こんなブログ読まないと思うけど、頼みますよ。5000人が療養休暇取るより、コストかからないでしょ?