2013年11月6日水曜日

教師はなぜ余裕がないのか?

教師は・・・なんて偉そうに一般化せず、自分は・・・と言った方がいいのかもしれません。
ま、私は日々、余裕がないわけです。明日のことに追われて、ではなく、まず今日のことに追われています。

 恥ずかしながら、いえ、申し訳ないことに、次の授業は何をやるんだっけ?と休み時間に教科書を初めて見ることもあります。全くもってそんな授業を受ける子どもたちがかわいそうになります。
 しかし、ほんのちょっとの時間でいいから前日にでもパラパラと教科書くらいお茶でも飲みながら見れたらいいのですが、いざ帰ってみると疲れ果てて、教科書を開くことすらできずに次の日が来ます。
教師失格だと言われれば返す言葉がありません。

毎日が万事そんな調子なので、余裕があるとは言えない状況なのです。ならば私が特別に要領が悪いか、サボっているか、それともそもそもの仕事量が多いかのいずれかになります。

ただ仕事量が多いなんてことをいう前に、量ではなくてタイミングで苦労することがあるのです。

それは予定にない仕事です。

どんな業種でもそうだろうとおもいますが、いくら仕事量が多くとも全体を見渡すことができれば、着地点が決まっていれば、予定を立てることができます。人に振ることだってできます。

しかし突発的に起こる仕事は、予定も助けもありません。たいていそんな仕事は緊急性が高いのです。

そう、トラブルです。

トラブルは速やかに解決しなければなりません。他の仕事をうっちゃってでも。

サラリーマン時代も何度もありました。そんな時は、社内外のスタッフや協力会社に頭を下げ、赤字を被り、なんとか最低限の信用だけはなくすまいと駆けずり回ったものです。

では、今はどうしているかというと、教師が直面するトラブルと言えば、多くが子ども同士の人間関係のもつれ、保護者との見解の相違やコミュニケーション不足による苦情です。

これは担任自身が対応するしかありません。

よほどのことがない限り、会議と名のつくものには出席しなければならないのですが、この子ども同士のトラブルや保護者とのもつれに関しては最優先に対応してもよいことになっています。

しかし、対応には時間も手間もかかるため、本来予定していた仕事はすべて後回しになります。ただでさえ余裕がないとあたふたしている時に限って、トラブルは起こります。
いえ、あたふたしているからこそ、トラブルの芽に気が付かないのかもしれません。もし、休み時間に宿題の丸つけをせずに子どもと一緒に遊んでいれば、朝に職員室で印刷機を回さずに、教室で子どもたちを迎えていれば、気づけたことなのかもしれません。

だからこそ、「やっぱり普段から余裕がないとね」なんて教師同士で話をするのですが、なかなか余裕なんて生まれません。

というわけで、普段からあたふたしている上にトラブルが重なってくるために教師は余裕がないのです。


まあ、サラリーマン時代も似たようなものだったかもしれません。トラブルはいつだって「今、来るか!?」ってタイミングでやってきていたような気がします。

そう、思えば昔の上司が言っていました。

「いつもキャパの8割で動いとけ。じゃないと、いざという時に動けん。大事な仕事を取りにいけないし、クレームにだって対応できん」

そうでした、部長。
あの頃から私はその8割ができずに、バタバタしていました。そして残念ながら、今も成長がありません。

教師も自分のキャパシティの8割で働くことができれば、きっとトラブルが起きたときにも冷静に、そして落ち着いて対応できるような気がします。

じゃ、どうすれば8割で働くことができるのでしょう?

部長は言っていました。
「仕事は人に振ればいい」

そして係長は私に言いました。
「あれは部長だからできる技。俺ら下々の者は振る人間がいない」

なるほど。

そうです。担任にも振る人間がいません。子どもたちに任すことができる仕事もありますが(掲示物や掃除など)、基本的にはクラスのことを誰かに振れるはずはありません。

また誰もがクラスや学年の仕事に加え、校務分掌と呼ばれる学校全体の仕事があります。生徒指導担当、体育担当、研究担当、会計担当など、ひとり一つ以上はあるのではないでしょうか。
会議や行事が迫ってこれば、自分の仕事を後回しにして、これをやらねばなりません。もちろん、自分の仕事が片付いていれば、後に回す必要はないのですが。

自分はこんなに仕事があって大変なんです、って言いたいかのように仕事を言い並べてしまいましたが、そうではなく、お気づきかと思いますが、教師の仕事は整理分担されていません。

学級担任は、授業をし、添削をし、学年行事の計画を立て、保護者対応をし、生徒指導担当ならば他のクラスの問題行動にも顔を突っ込み、情報担当ならばシステムの使い方を教師全体に教えなければならないのです。

じゃ、どうすれば余裕が生まれるのか。

まず、校長・教頭以外の管理職を作る必要があるのではないでしょうか。

私の学校で言えば、教務主任や校務主任がいません。(私が小学生だった学校にはいたのですが)

ヒラ教諭の次はいきなり教頭なのです。じゃ、何かあったら逐一教頭に報連相なのかというと、その通りで、教頭も対応はしてくれますが、一人でさばききれるものではありません。(何せ、学級数は約30もありますから)

で、どうなるかというと
「会議でみなさんに聞いたら?」
となるのです。

つまり、管理職が「こうしよう」「それで進めましょう」と言って決断してくれさえすれば、担当が進めることができるものを、管理職がじっくり考えられずいちいち会議にかけていることが多くあるのです。

ヒラ教諭は担当であっても残念ながら決断する権利がありません。「これでいいですか?」と全員に聞かねばならぬのです。職員会議とは、民主的ではあるものの、非常に効率の悪いシステムなのです。

これを教務に関すること(つまり、各教科の授業など子どもへの指導に関すること)はできるだけ教務主任が決断・指示し、校務に関すること(学校の組織としての裏方の仕事や行事に関すること)校務主任が決断・指示すれば、担当ヒラ教諭は会議を待たずに仕事を進めることができ、かつ責任者がはっきりとし、また教頭の負担が減り、職員会議が短くなるのではと思います。

会議とは、本当に皆が知恵を絞って解決をしなければならないことに議題を限定すべきです。

教務主任、校務主任は担任を持たず、社会や理科を少し受け持つ程度で、管理職として働くべきです。
そして、突発的な仕事に対応するのです。管理職であればこそ、経験や年数を重ねているでしょうし、保護者ヘの信頼も厚いでしょう。
必要ならば、保護者と担任の間に入り、冷静な目でトラブルを軟着陸させることができるのではないでしょうか。
担任がないからこそ、定期的に校内を見回り、気になる児童の様子を見ることもできるはずです。


私の勤める地方都市だけでなく、全国的に教科担任制度や特別支援教育の充実を理由に、教師の数を増やそうという動きがあります。

しかし、増やすならまず教務主任や校務主任といった管理職を増やすべきです。

なぜなら、学校現場においては、管理されていないからです。

教師が。

ではありません。

仕事が。

です。

ヒラにはヒラの、管理職には管理職の仕事があってしかるべきです。しかし、それらの仕事が渾然一体となって、皆を巻き込むようにして余裕を奪っていくのが、現在の教育現場です。

存在する意味と、効果と、仕事のある管理職が必要です。

生涯一教師。
現場主義。
偉くになんてなりたくない。

そんな信念で昇進試験を受けない先生が数多くいます。しかし、何十年も担任をしたのであれば、その経験を自分だけのものにせず、組織のために活かさねばなりません。

それが、あたふたする教師を救い、突発的な仕事に青ざめる教師を落ち着かせ、ひいては良い授業を子どもたちに届けることになるはずです。

若い先生がどんどん増えている時代だからこそ、管理職を増やしましょう。仕事を管理して整理しましょう。

経験を積んだ先生、それは今の時代、義務ですよ。今までの恩返しだと思って。