2014年5月19日月曜日

校長に人事権はあるのか?

先日から新聞を賑わせている学校現場の人事について考えてみます。

事件の発端は大阪市でした。
本来ならば管理職である校長が決定するところの学校組織の人員配置を、職員の多数決や投票で決めていたことが明るみに出て、橋下市長が「教育現場の常識は狂っている」と発言しました。

すると、その問題は大阪市にとどまらず、大阪府も、そして神戸市も似たような現状であることが分かりました。

つまり、それらの自治体の校長は「誰をどこに配置する」という権限がないにもかかわらず、問題が起きた時の責任は背負うというポジションにあることが分かったのです。

また、そんな状況に異議を唱えた民間出身校長が退職に追い込まれていたことも分かりました。

学校現場を知らない人たちは驚いたかもしれません。

なんだ校長ってそんなに力がないのか、と。

結論から言うと、ありません。

学校長の裁量を整理します。

まず、どれくらいの裁量があるかというとマクドナルドの店長くらいです。

人事権のほとんどは本部社員が握っているのと同じように、人事権のほとんどは教育委員会が持っています。

誰をどこに異動させるか、を校長が決定することはできません。最終決定は教育委員会です。校長はその判断材料を上へあげるに過ぎません。

なーんだ、学校長は名ばかり管理職か。

その通りなのです。
学校長とは、学校の長であり、その学校は自治体にいくつもあります。学校長の権限は学校の中に限られています。誰某を、どこに異動する、なんてことを決定することができないことになります。

では、その学校内ではどうでしょう。

法律の定めるところによれば、学校長は学校内の人事を司ることになっています。
学校内の人事とは、どの先生を何年生にするとか、どの先生を何の担当にする、とかそんなことです。
マクドナルドの店長がバイトのシフトを組むようなものです。

しかし、現状は自治体や地域によってさまざまです。

校長が自身の責任でもって、トップダウン的に人事を決めることが当たり前の地域。

校長が最終的にgoは出すものの、人事をほとんどが組合や教員からの選抜組織が決める地域。

たたき台を校長が作り、組合や教員の代表者とで練り直す地域。

千の地域があれば、千のやり方で校内人事を決めているはずです。

トップダウン=独裁と考える教師は少なくありません。組合の強い地域はなおさらだと思います。

校長が考えたことを即実行に移すことを強権的かつ民主的でないとし、校長が教師たちに案の是非を問わなければ何もできない地域もあるでしょう。

また、教師からの選抜メンバーで校内人事を決められる状況を、組合が勝ち取った権利であると自負している地域もまだまだ残っていると聞きます。

「教育現場の常識は狂っている」と市長に言わしめた状況は、大阪や神戸に限った話ではないはずです。

果たして、橋下大阪市長や下村文科大臣の発言でこの校内人事問題はどうなるでしょうか?
どうもならないでしょうか?

今から、5、6年前のことでしょうか、どこの自治体だったのかは忘れてしまいましたが、
「我々の仲間が教頭に!」
と書かれた組合新聞が公になって問題になったこともあったように記憶しています。
その自治体では、教頭試験を組合が牛耳っているかのようでしたが、報道以降は変化があったのでしょうか。

この大阪や神戸のやり方の問題点は、任命責任です。
任命責任は、校長にあります。
つまり、人員配置が原因の問題が起きた場合、責任を取るのは校長なのです。
しかし、校長が形式上任命するだけで、実際の人事を少人数の選抜組織や投票のようなもので決めているのならば、責任だけを取らされる校長は理不尽でしょう。

また、人事に不満がある場合にでも、不満を感じた教師は不満を持って行く場がないのではないでしょうか。

校長に訴えても、校長が決めたわけではないし、選抜組織は「我々の代表」であるのならば、訴える先がありません。

責任の所在があいまいなのです。

私の意見を言うのならば、組合は人事に口を出すべきではありません。
個人の希望は伝えたとしても、誰某をどこに配置するかという問題は、管理職が全体を鑑みて決めるべきです。

組合は、教師たちは、人事ではなく、職場環境の改善をひたすら具申し、かつ自分たちもそのために動くべきです。

そこまでするからこそ、校長の任命責任を問うことが可能になります。

管理職である校長と、担任や専科を受け持つ一教師が同じ分野や同じ視点で仕事を見ることは無駄です。
それぞれの役割を意識し、それぞれの立場で、学校全体のベストを目指す必要があります。

その上で、活発な意見交換(「ちょっと立ち話」が私は好きです)ができればいいのにな、と思っています。

労使協調、と声高にいう割には、組合新聞にはまだ
「たたかう」
「闘争」
「勝ち取る」
など、まだ恐ろしい言葉が並んでいるように思います。
敵意むき出しです。

一方で、自治体が鳴り物入りで送り込んだ民間出身校長が不祥事を起こす、というニュースもそろそろ飽きてきたくらいに見聞きするようになりました。

外圧で変化を起こすよりも、自らより良い方向へ行きたいものです。

お互い大人じゃないですか。