お先日のニュースでは文科省と財務省のバトルが報道されていました。
小学一年生の35人学級を維持するには、教師確保に年間84億円かかり、35人学級にしても40人学級時代といじめ発生率は変わらないことを根拠に、35人学級を打ち切りたい財務省。
1クラスの人数は少ないほど教育効果は高いと教育関係者は誰もが認めるとし、いじめ発生率の微増は教師の意識の高まりに他ならないと主張して教員増を求める文科省。
たった5人枠でなんでそんなにモメるんだ?
と思う人も多いかもしれません。
自分のクラスが34人だろうと、38人だろうと、そんなに何も変わらなかった、と昔を思う人もたくさんいるでしょう。
しかし、この5人枠は大きな違いを産みます。
自分の学校の話をします。
1学年、だいたい140〜150人くらいの学校に勤めています。
つまり、小学校6学年あれば、全部で900人くらいの子どもがいます。
もし、35人学級だったら。
1クラスを35人以下に抑えるためには、140人を
28人✕5クラス
に分けます。というわけで、たいてい一年生は5クラスです。
では、35人学級が適用されない6年生になると、同じ150人でも
35人✕4クラス
となります。
1クラスあたりの子どもの数の差は5人よりも大きくなります。
たかが7人ではありません。
7人違えば、忙しさは全然違います。
毎日の宿題の丸付けから、テストの採点、ノートのチェック、成績表の作成といった子ども一人ひとりに対する仕事はもちろん時間を取られます。
私は最も少ない時で28人、最も多い時で38人を経験していますが、10人違えばまるで違う職業のように感じられるくらいです。
28人が余裕があって、ヒマでラクだと言っているわけではありません。今の日本にヒマでラクな仕事などないでしょう。
28人のときは、「あの子、分かってないな」とか、「あの子、なんか変だな」ということに気づきやすかったように思います。しかし、毎年、子どもも学年も違うので、きちんと比較できるわけではありません。
ノートや宿題は明らかに丁寧にチェックしていましたが。
35人学級を導入してから、いじめの発生率が微増しているのは、教師の意識の高まりだと下村大臣は言いましたが、私は少し違うと思います。
変わったのは「いじめの定義が認知されたこと」です。
「いじめとは、いじめられた方がそれをいじめと捉えたら、いじめである」という定義が完全に学校現場や家庭に根付いたのがここ最近です。私の感覚で言うと、ここ4〜5年といったところでしょうか。
ぞれまでは、いじめられる方にも原因がある、なんて理屈こそ既に聞かれなくなっていたものの、学校現場は「いじめ」の三文字を使うことにひどく怯え、「いやがらせ」だの「つらい思い」だの似たような曖昧な表現で回避していたように思います。
また、大津の事件依頼、文科省や教育委員会の取り組みも変わりました。
年に1回、いじめアンケートなるものを実施します。「いやな思いをしてませんか?」「そんな友だちを知りませんか?」と子どもたちに聞くアンケートです。そりゃ、報告に上がるいじめ件数は増えて当たり前です。文科省の主張はもっともです。
35人学級と同列で論じる話ではありません。
そして、学年ごとに振り分けられる仕事も教師が5人いれば5分割ですが、4人ならば4分割です。
クラス担任としての仕事以外の学年としての仕事の総量を100とするならば、それが20になるか25になるかは大きな差です。
また全学年で35人学級が実現できれば、学校全体で教師は最大6人増えるかもしれません。
これは、事務仕事や報告書作成においては、確実に一人あたりの負荷を小さくしてくれます。
トラブルが起きた時の対応の速さも細かさも違ってくるでしょう。
私の学校で言えば、教師が約50人いますが、もし55人になれば「あの担当はもう一人いるな」という所がいくつかあるので、大助かりです。生徒指導とか、体育とか、情報とかね。
ただし。
ただし、です。
財務省の言うとおり、予算がないならば、人員は増やせません。教師は公務員ですから、赤字を垂れ流して教師を増やすことに世論が両手を上げて賛成することはないでしょう。
教師は言います。
教育は、国の根幹だ。
子どもは国の宝だ。
国づくりは人づくりだ。
早い話が、
ビルより教育だ。
戦車より教育だ。
道路より教育だ。
というわけです。
教育にケチる国に将来はない、とでも言わんばかりに。
でも、財務省は厳密に言えば、教育にケチっているわけではありません。教育にかかる人件費をケチっているのです。教科書や黒板や机をケチっているわけではありません。
人を削るより、
無駄な工事を減らせ!
無駄な事業を減らせ!
とも、教師は言います。
しかし誰にとっても無駄な事業なんてあるんでしょうか?
そこでなにかの仕事が生まれ、誰かの収入に繋がっているのに。
だから、逆に言われているのです。
一人で子ども40人くらい面倒みろよ、と。
経費圧縮に一番効果があるのは、人件費なんだと。
人を増やすより先に1人ひとりの守備範囲を広げろよ、と。
お前らの人件費のために借金を背負うのは目の前の教え子だぞ、と。
手厳しい…
みなさんは、財務省と文科省の言い合いをどう見ていますか?
どっちの言い分が時代に合っているのでしょう?
私は1クラスあたりの児童数は、40人までなら何人でもいいです。でも40を超えると、机が教室に入りません。物理的には入りますが、暮らせません。なので、35人学級にこだわりません。
おいおい、さっきと言ってることが違うじゃないか。
と、思った方。
続きがあるのです。
小学校が35人学級にこだわると、人件費だけでなく、ハードにも莫大な費用が必要です。
教室です。
今、住宅地の小学校では校庭を潰してプレハブを建てています。児童数が増え、また各自治体が独自に少人数クラスを目指しているからです。
これは子どもを不幸にします。
何せ児童数は多いのに、運動場が狭くなるのですから。
だから、35人学級にこだわってクラスの数を増やしてはいけません。1クラス40人でもいいのです。
プレハブは、財政にも子どもにも不幸でしかありません。
しかし、教師は学年に
クラス数+1
配置しましょう。
クラスを増やさず、教師を増やすのです。
なんだ、結局、教師を増やせと言うのか、と思われるかもしれません。
しかし、このクラス担任ではない+1の教師がいれば、現場は全く違うでしょう。
問題行動の対応が授業を潰さず、自習にせずにできます。
担任が出張しても、困りません。
授業についていけない子どものフォローができます。
昼間に保護者対応ができます。
授業中に宿題チェックができます。
担任でないからこそ、子どものためにできることが山ほどあります。
35人学級にしてクラス担任をふやしていてはできないことが、40人学級にして+1でできるのです。
しかも、プレハブを減らせます。
人件費はかかりますが、総経費は35人学級より安上がりです。
どうです?文科省のみなさん。
どうです?財務省のみなさん。
ぜひ、検討していただきたいのですが、このブログまで辿りついてくれますかね…