2016年7月7日木曜日

なぜ組立体操をやめられないのか?

組立体操、特にピラミッドに対しての各自治体に対応策が発表されましたが、そろそろ組立体操の季節がやってきます。

子どもたちの季節は、運動会の秋です。

しかし、教師にとっては組立体操の季節は夏。そう、夏休みです。

2学期からの指導に向けて、この夏休みにプログラムを作リます。

組立体操はしない

そんな宣言をする自治体が相次ぐ中、どことは申しませんが、私の勤める日本の端の人口数十万都市では、組立体操続行です。

その理由としては、

○我が市は、もともと人塔とピラミッドには高さ制限がある。
(えっ、そうなの? 知らなかった)

○我が市には、長年積み上げてきた指導ノウハウがある。
(うそ…伝わってませんけど…)

○我が市は、近隣校で共通演目を設定し、協議・検討している。
(してたっけ…?)

…らしいです。

しかし、ですよ。

私の知る限り、小学校および中学校で市内で組立体操によるケガ人が出なかった年はありません。

つまり、組立体操が原因のケガが毎年起こります。擦り傷や打撲などの軽傷ではありません。(擦り傷や打撲にも重傷はあるでしょうが)

骨折するくらいのケガです。

さすがに命の危険があったという話は聞きませんが、骨折する痛さや、本番に出られない辛さを感じている子どもが、市内にも毎年いるということになります。

教師の感覚は、

「何十校もあれば、一人くらいはそういうことが起こるかもな」

といったところでしょうか。

みなさんも、そう思いますか?

それとも、この感覚は世間ズレしていますか?

異物混入を考えてみます。

食品などへの異物混入は、事件のときもありますが、多くが事故です。なんらかの過失があって起こります。

しかし、一つの加工食品から、もし虫が出てくれば、まず、すべての出荷済み商品を回収し、すべての生産ラインを止め、混入経路を特定し、改善策を整備して、検査を経て、再開となるでしょう。

「一つくらい、混入はあるでしょ」

で、済ますことはありません。

長引く問題となっていエアバッグもそうです。一つに欠陥があれば、基本的にはすべてを止めて回収し、改善されなければ、再開はありません。

しかし、組立体操は違います。

毎年のように骨折する児童がいても、その学校で、その自治体で組立体操は続行です。

もちろん、怪我の報告はあります。

いつ、どこで、どのようにして、どんな怪我となったのかは、学校には報告義務があります。教育委員会へも、もちろん、それを見ていなかった家族にも。

ただ、改善策は多くの場合、とられませ

「緊張感を持ってやろう!」

などと、教師がゲキを飛ばすくらいです。

異物混入事件の改善策が工場長のゲキのみだとしたら、お話にもならないでしょう?

教育現場では、お話になっているのです。

もちろん、

○難易度の高い技に挑むとき、見ている教師を増やす。

○適宜、十分な休憩を取る。

○段階的に指導する。

みたいなことは、言うでしょう。

しかし、怪我を防ぐ解決にはなっていませんし、所詮【今一度、再徹底する】という意味であって、怪我の前後でそうかわっているとは思えないものばかりです。

組立体操において、怪我を減らす解決になるのは、

技を減らす

技をやめる

以外にはありません。

子どもの集中力や体調は、測ることができません。

10分休んだから…

昨日早く寝たから…

…じゃあ、絶対にケガをしないかというとそんなことはありません。人間がやることに、絶対はありません。

ケガをなくす(または、全員の命を守る)には、やめるしかないのです。

…なんてことを言うと、反論が来ます。


組立体操以外にもケガはあるじゃないか。

水泳だって事故が多い。でも、続けている。

何をするにしてもケガはゼロにはできない。最大限の努力をするしかない。

保護者や地域の期待はどうする?

事故はレアケースだ。ほとんどの場合は大丈夫なのに、レアケースで全体を変えるのか?

などなど。

ま、組立体操をやりたい人たちはいるのです。見たい人たちもいるのです。

確かに、迫力はあります。6年生や中学3年生のビシッとそろった動きは美しいでしょう。締めの演技にふさわしい風格があります。まして、ピラミッドや人塔のような大技になると言うまでもありません。

また、全員の気持ちが一つにならないと成し遂げられない。上に乗る者は下で支える者を思い、下で支える者は、上に乗る者を思う。そんな学びも大きい。

という教育的な一面を話す先輩にお会いしたこともあります。

でも、今、世の中が問うているのは、

そのために死ぬ人間がいていいのか? 骨折する人間がいていいのか?

…ということです。

義務教育の授業である以上、自主参加ではないのです。任意ではないのです。習い事とは違います。スポーツにケガは付きものだ、が必ずしも当てはまりません。

いいとは言えません。

言えるわけがありません。

でも、何で今になってそんな問題になるのか? 今までは大丈夫だったのだから…

と、急な世論の高まりと各自治体の方針転換に、私の勤める自治体でも戸惑う教師は多いのです。

もちろん、もし、年々ピラミッドが高層化・巨大化していたのなら、改めねばなりません。一番下の子どもには、想像を絶する重さがかかることが報道されていました。

しかし、多くの学校での組立体操は、そこまで高さや大きさを追求してはいなかったはずです。

去年も一昨年も、そして5年前も、10年前も、同じような技に取り組み、その例年通りを続けてきたはずです。

きっと、我が市が言いたいこともそういうことでしょう。

だから、高さや大きさを競ってきたようば学校や地域と一緒にするな!

我々は、堅実にやってきたんだ。

と、言いたいのでしょう。

それで、けが人がいなければいいのですが、毎年いるのです。

やめろ、と言われれば、やめざるをえないはずです。

まだそれが我が市では、大きな声にはなっていないだけです。

しかし、やめたら、何をすればいいのか?

それが、教師は考えられません。

思考停止しています。

組立体操の大団円以外で終わる運動会を見たことがないからです。想像ができません。運動会は、組立体操を中心に回っていると言ってもいいくらいです。メインイベントです。

小学校では、六年生はプログラムの一番最後に、一番長い時間を使って、演技をします。見ている子どもたちや家族の前で。

そのメインイベントがなくなる運動会を教師は思い描けないのです。

組立体操をやめた自治体は、何をするのでしょう?

ソーラン?
よさこい?
エイサー?
ヒップホップ?
ジャズダンス?

それとも、他に手があるのでしょうか?

1年生から6年生まで、6段階にそれぞれ差をつけた演目を用意するのは簡単ではありません。

以前も書きましたが、ただでさえ、教師はダンスが踊れないのです。教員向けの運動会専用ダンス振り付け講習に、大挙して押しかけるくらいですから。

きっと組立体操中止を決めた自治体では、教師たちが知恵を絞り合って、演目を考える夏になるのでしょう。
(もう、決まっているのでしょうか)

ピラミッドや大技のない、組立体操をするのか、

他の学年と同じようにダンスをするのか、

もしくはダンスや組立体操のような演技種目は全てなくなり、リレーや競技中心の運動会となるのか、

教師たちの悩みどころです。


組立体操で、ケガをする子どもたちが一人でも減りますように。命を落とす子どもが一人もいませんように。