2012年1月3日火曜日

教師はなぜ職業を隠すのか?

「隣の人にも先生だと言ってない。公務員って言ってる。」

と同僚の先生が言ってるのを聞いて、ま、そんなこともあるよなあ、くらいに思っていたら、それが教師の当たり前だと知って驚きました。

確かに人を教える立場の教師が、近所で清掃活動に参加しないとか、ゴミの分別をしないとか、そんなことがあるのなら、職業を隠すということもあるかもしれません。

しかし、普通に暮らすのなら、取り立てて意識しすぎることでいいことはないように思います。

体面として模範的でなければならないのは何も教師だけではありません。消防士にしても、僧侶にしても、スポーツ選手のような著名人にしても、世間は模範的であることを求めるでしょう。しかし、近所にそれを隠せないこともあるでしょうし、隠そうとは思わないのではないでしょうか?

隠せば人間関係が築けなかったり、不信感を与えることになりかねないと私は思うのです。

お仕事は?

と聞かれて、

「NPOです。」と返す人は変でしょう?
「公務員です。」と返す人も、「会社員です。」と返す人もやっぱりちょっと不十分でしょう。

その後に「どういう仕事?」とか「会社は?」とかいう質問がくるはずです。
そんな次の質問を防ぐには、ちょっと言いにくそうに、「まあ、一応…公務員ですね」とか歯にものが挟まったような言い方をするしかありません。そうしたら、「ああ、言いにくいのかな。この人はただの役所ではないな。警察かな?税務署かな?」と思われるのでしょう。

どうやら教師の多くもそんな返答をしているようなのです。

しかしです。
そんなことをしたって無駄です。

朝、スーツを着ずにジャージで出かけているのです。8月になったら、ずっと休みに入っているのです。

隠せるものではありません。どっからどう見たって教師です。
バレているのにバレていないと思い、そして相手の方も分かっているのに分かっていないふりを続けていては、やはり結局のところ教師の世界を狭め、教師だけが寄り固まり、教師を特別なものにしてしまうのです。

教師だと周囲に知れたからって、何も不都合はないはずです。
誰だって仕事をしている最中のONの顔と、仕事が終わった後のOFFの顔が違って当たり前です。
誰だって、営業スマイルや営業トークの様子を家族や友人や隣人に見られるのは多少なりとも気まずいものです。
誰だってスイッチを入れて仕事をしています。

だから、OFFはスイッチを切ればいいのです。もちろん、挨拶や法令遵守は当たり前ですが、お酒だってタバコだって、買い物だって宴会だって合コンだって堂々とやればいいのです。「職業:教師」を名乗って、OFFの顔を見せればいいのです。
それが当たり前です。

ただ、自分のクラスの子どもたちはそれが分かりません。教師がOFFだって、子どもたちにとっては「先生」です。
だから「教師は休まらない。いつどこでクラスの子どもに会うか分からない。教師は特殊だ」と思っても仕方ないところはあるかもしれません。

でも、堂々としていればいいのです。デートをしていたって、ハンバーガーを齧っていたって、恥ずかしいことをしているわけではありません。

ましてや、近所づきあいや習いごとや遊びで出会う人たちに、隠す必要なんてまったくないのです。

「教師は特殊だ」
なんて思っているのは教師くらいです。

自分の仕事には誇りを持てばいいし、報酬に見合う仕事をすればいいのだし、マスコミが何と責めようと、既得権益だと言われようと、教師ひとりひとりがONもOFFもきちんと顔を見せるべきです。

教師がそこで閉じこもるからこそ、いらぬ誤解も偏見も出来てしまうのです。

センセイ、自分の仕事を誇ろうぜ!
ONとOFFを見せようぜ。

ってまあ、このブログは本名でかいていませんがね。