2013年4月2日火曜日

教育も「詳しくはwebへ」か?

大阪市の橋下市長がどうやら、2015年にはデジタル教育をスタートさせると宣言したそうで、国も業者もあまりのスピードに驚いているそうです。
大阪市の教師でもない私もいつも橋下市長の言うことには反応してしまいます。どうやらそれはメディアも同じらしく、これほど注目される市長もいないでしょう。

デジタル教育については私も一年ほど前に「教科書はタブレットになるか?」で考えた問題ですが、あれから世間では、ipadminiやnexus7、surfaceなど、たくさんのタブレットが発売され、またスマートフォンの勢いは落ち着くどころか、まだまだ伸びそうな勢いです。

これはやはり2013年度初めにもう一度考えておきたい問題です。

一年前の私の意見をまとめると、
・タブレットは壊れる、フリーズする点で紙にはかなわない。
・タブレットは成熟していない技術であり、小学校6年間を通して一台でまかなえるものではない。よってコストがかさむ。
・タブレットは子どもから時間割を奪い、モノを準備するという習慣が身につかない。

というようなゴタクを並べておりました。
これを今考えてみてもやはり、タブレットは落としたら壊れますし、進化は日進月歩であるし、さほど私の意見は変わっていません。

しかし、メリット・デメリットというものは探したい人が探したいだけ探すことができるものです。いかなる問題に対しても。屁理屈みたいなものです。

しかしデジタル化の流れはきっと止まることはないでしょう。今、もっとも大切なのはデジタル教育が導入されたとしたときに、教師が直面する問題は何かということです。
ルーティンワークとしては、きっと本当に
「電池が切れた」
「画面が割れた」
「動かない」
と言って騒ぐ子どもたちの相手をすることになるでしょう。

しかし、本質的な大問題は
「子どもたちは教わらなくても勝手にやってしまう」
ということなのではないかと私は思い始めています。

自主性が高まるのはいいことです。意欲が高まるのはいいことです。しかし、学校はあくまでも集団学習の場なのです。教育現場では一斉授業と言います。全員が教師の説明と仲間の発言を聞き、そして刺激され同じペースで学ぶ形態です。

しかし、デジタル教育はその方向とは少し違う方向を見ているのではないかと思うのです。

パソコンをはじめ、タブレットもスマートフォンも「個」を向いているからです。
映画はもはや劇場からリビングに主戦場を変えただけでなく、今は手のひらへ向かいつつあります。デジタルは「個」のための技術です。

黒板よりもコンピュータグラフィックスが分かりやすいのは当たり前であり、教師の説明よりも練りに練られたテレビ番組の方がよくまとまっているのは否めないでしょう。

デジタル教科書が、動画コンテンツを豊富に含み、イメージするしかなかった算数の図形や社会の遺跡のコンピュータグラフィックスが次々と出てきて、さらに検索機能や添削機能が備われば、できる子どもほど、授業がバカらしくなるはずです。
「自分で勉強した方がマシ」と。

教師の仕事は、発表や話し合い、図工や音楽、体育くらいしか残らないかもしれません。

なんだ、教師のレベルはそんなに低いのか?

そう思われる方もいるでしょう。
しかし、レベルが低いのは、デジタルに及ばないのは、何も教師だけではありません。

高給取りの代表であり、いつだって時代を作ってきた広告代理店やCMプランナーは、とっくにデジタルに負けています。
15秒や30秒の限られた時間で商品やサービスの魅力を伝えてきたテレビCMは、今やただのバナー広告にすぎません。

「詳しくはwebで!」
「続きはwebで!」
「○○で検索!」

判で押したようにそんなCMばかりになりました。CMは商品説明を諦めたのです。魅力を伝えることを諦めたのです。自分のペースに合わせて知りたいことを満足行くまで調べられるwebに負けたのです。

きっと5年後の教師は言うはずです。
「よく分からなかった人は、動画をよく見ておくように」
「詳しくはコンピュータグラフィックスを見ておいて」

なーんてことになるかもしれません。いやあ、どうしようかな。教師、いらなくなっちゃうな。