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2016年11月5日土曜日

善意がブラックのはじまりか?

電通の新入社員の方が自ら命を断った事件をきっかけに、今、また長時間労働をめぐってたくさんの意見が聞かれるようになりました。

教師でも、少し前に中学校教諭の方が

「夜10時に電話をかけてきて、先生がいないと怒り出す保護者」

についてツイートし、教師のブラックぶりも明らかとなり、中学校の部活動については首相もコメントせざるを得なくなりました。

「なぜ教師は残業代がないのか?」

「教師はなぜ心を病むのか?」

でも再三再四書いてきましたが、教師の(教師以外のも)ブラックな働きぶりがどうしてこんなに蔓延しているのかを少し考えてみようと思います。

電通の方の事件は、かつて私も電通と仕事をする機会もあった(ちょっとだけ噛んだ?)ので、気になる事件でした。

電話をしたことも数回ですし、訪問したことも数回なので一般的にどうとは言えないかもしれませんが、電通の方はとにかく忙しそうでした。

いくつも案件を抱え、いくつもケータイを持ち、いつでも仕事をしていました。

それでも、わたしが会った人たちは、イキイキというか、ギラギラというか、派手な広告業界を楽しんでいるように見えました。

いえ、電通からアゴで使われるような自分たちからはそう見えていただけなのかも知れません。

そう、電通の方がいつでも仕事をしているということは、電通から仕事を請け負う者たちもまた同じように働いているのです。

いえ、ときにそれ以上に。

私は入院する同僚の代わりに、ほんの1、2週間だけの仕事でしたが、夜10時の電話なんてザラでした。

日付が変わってもまだ、電話がかかってきます。

「明日の朝イチまでに、データのこことここ直してくれる?」

…と。

私はとりあえず、受けるしかありません。

「…わかりました…」

しかし、少し抵抗してみます。

「…10時までには、メールで送ります。」

会社には、まだ数人の営業が残っていました。しかし、データを変更できるようなスタッフやオペレーターはもういませんでした。

だから、それこそ明日の朝9時にかれらに修正を依頼して、10時までに電通に送るしかなかったのです。


「10時か…修正ちょっとじゃん。すぐ直るよね。」

自分ができるなら、そんな言葉で困りません。でも、わたしはただの営業で、そんなスキルはありませんでした。

「はぁ…、でも、もうスタッフが今日はいませんので…」

困り果てたような声を無理に出さなくても、出ていたはずです。

「じゃあ、10時でいいよ。こういうときのために待たせとかなきゃ、営業なら」

と、むっとされながら言われて電話が切れて、ほっとしました。

もう、10年以上前のことですが、今回の事件で、わずかの間、電通と仕事をした日々の記憶が蘇ってきました。

電通の方も、得意先との納期の間で苦しんでいたのかもしれません。

「おれはまだまだこれから仕事があるのに、お前はもう帰るんだろ」

と、私に対して思っていたのかもしれません。

しかし、その電通の方も、私も、共通していたのは、

無理をして仕事を取ってきている

ということでした。

広告主は電通から高い請求書がくると分かっていても、0時をすぎても妥協せずに修正し、突き詰める姿勢に広告費を払っているのかもしれません。

また、電通は巨額のテレビCMに主眼をおいていて、キャンペーンにまつわる枝葉の仕事は、私の勤めていたような中小の会社に仕事を丸投げしていました。

しかし、私にとっては、小さくない仕事でしたので、やはりわたしも、無理をして対応するのです。

しかし、無理のほとんどは、

こうしたら喜ばれるかもしれない。

顧客満足につながるかもしれない。

…という、善意が発祥です。

しかし、やる方にとっては善意でも、受ける方にとっては、そうではありません。

「へぇ、そんなに速くできるんだ」

「そんなに遅くまで対応してくれるんだ」

「そんなことまで、頼めるんだ」

…に、なってしまいます。


つまり、最初の一回は善意に感動してくれても、2回目からはそれが普通になるのです。

電通も、わたしも、きっとそんな無理をして仕事をとっていたのです。


さて、思い出話はここらで終えて、わたしの現在の仕事に、話を戻します。


現在は小学校教諭です。

教師もまた、良かれと思ってやった善意の行動がいつしか当たり前となり、苦しんでいます。

きっと、夜10時電話をかけてきて、教師不在で怒り出す保護者の方は、それ以前に10時に電話をかけて、対応してもらったことがあったのです。

きっと対応した教師は、

「これ、一回だけだぞ、こんなことするのは」

と、思いながら、したに違いありません。

しかし、保護者としては

「前はしてくれたのに、なんで今回はだめなんだ‼」

「前の担任はいつ電話しても出てくれたのに、なんで今の担任はいないんだ!」

となるのでしょう。

想像に難くない話です。

きっと、前に夜遅くの電話であっても対応した教師は、よかれと思ってやったのです。速く対応してあげた方が、子どもも親御さんも安心するだろうな、と思ってやったのです。

電話だけではありません。

家庭訪問も、学級通信も、担任がよかれと思ってするすべての善意は、いつしか当たり前になるのです。

「前の先生は一日休んだだけでも、電話してくれたのに…」

「⭕⭕先生は、何かあったら、お家に来てくれたのに…」

「前の先生は毎週のように学級通信を書いてくれたのに、今の先生は全然書いてくれない…」

と、なるのです。


今の教師に、勤務時間内に、放課後の会議や打ち合わせと、日々の添削に加えて、

気になる子の家を家庭訪問し、

休んだ子の家に電話をかけ、

学級通信を書く

などという時間はありません。


ということは、すべて勤務時間を超過して行う善意です。

やらなければならない仕事ではありません。

誤解を恐れずに言うのならば、趣味です。


もし、教師に請求書を書くことが許されるなら、授業料は請求することができたとしても、電話や家庭訪問や学級通信は請求書には書くことができません。

なぜならば、誰からも依頼されてはいないし、注文を受けてはいないからです。

「こうした方がいいだろうな」

という、教師の自己判断でやっているからです。

しかし、世の中に出回る教師のHow to本には、学級をうまく回すために、保護者ウケを良くするために、楽しいクラスを作るために、そんな善意の行為を推奨するものがたくさんあります。

そして、現場でも、研修でも、そんなことがよく聞かれます。

そりゃ、やった方がいいことっていうのは、数限りなくあります。

しかし、それは、

自分が楽しんでやれるならば、

という条件がつきます。

趣味だからです。

依頼も発注も受けてはいないからです。

請求もしないからです。

それらに振り回されて、追われて、時間を奪われて…という気持ちが湧いてきたら、自分で増やした仕事を勝手に義務化して苦しんでいることになります。

楽しんでやっているならば、苦しくありません。いくら、超過勤務をしたとしても。

かつての電通との仕事も同じです。

言われたこと以上のことをして、

「早く対応してくれて、助かったありがとう!次もまた頼むよ!」

なんて、言われて、嬉しくて、顧客満足ってこういうことか〜頑張ってよかったなぁ、なんて思えるうちは、いいのです。


顧客の注文が細かく具体的であっても、自分で考えるうちに、

「こういう仕様でもいいかもな」

「こんなバージョンもありだな」

と考えるのが楽しければ、時間をかけて2案3案と準備するのは苦ではありません。得意先からの評価も上がるかもしれません。


無理を言われて対応したことなら、請求できるかもしれません。

(現実は厳しいでしょう。「おたくはソレ請求すんの?ヨソはしないよ」なんて言われてね…)


しかし、頼まれたこと以上のことはそもそも請求できません。

それは営業努力であって、つまりは自分のためであって、誤解を恐れずに言うならば、趣味だからです。


わたしは、こういう趣味的な仕事をやめちまえ、と言いたいのではありません。


楽しんでやれるうちは、どんどんやるべきです。夜遅くまで取り組んでも、家に持ち帰っても、苦しくないでしょう。だって、楽しいんですから。


しかし、いくら楽しい趣味的な仕事でも、限度があります。睡眠時間を削り始めたら、だんだん楽しくなくなります。体がこころに影響するからです。

そして、なにより、やはり、

次から相手もまわりもそれを当たり前だと思うからです。


善意で行ったことは、いつしか当たり前となり、楽しくもなくなり、私たちをブラックな働き方へと引きずりこむのです。


では、どうすればいいのでしょう?

と、ずっと思っていたら、一つの答えを宇多田ヒカルさんが出してくれました。

そう、復帰アルバムFantomeです。


CD不況はわたしが改めて言うまでもなく、CDは握手券をつけるだの、選挙券をつけるだの、グッズをつけるだの、表紙のバージョンが違うだの、特典で売るのが当たり前になりました。


似ていませんか?

私たちの善意の趣味的な仕事に。


特典もつけ始めると、次はそれが当たり前となり、それ以上を求められます。

「もらえてラッキー」とは、今の消費者はもう思わないんじゃないでしょうか。

そんな折、なんの特典もないCDが発売され、第一位を続けています。

宇多田ヒカルさんです。

わたしは音楽にいいとか悪いとか言えるほど聴いてはいませんが、評価は高く絶賛されているようです。

宇多田さんが何を教えてくれたのかというと、

本業に集中しろ

ということなのではないでしょうか。


シンガーソングライターは、販促や特典ではなく、曲作りに。

広告代理店は、深夜対応ではなく、マーケティングとアイデアに。

教師は、学級通信や家庭訪問ではなく、授業に。


こんなことをすると喜ばれる

という付加価値ではなく、

自分の本分で喜ばれる

という何も付加しなくても価値のある本業を。

目指そうでは、ありませんか。

2014年10月17日金曜日

なぜ教師には残業代がないのか?

どうやら、日本の教師は忙しすぎるようで、中学校の先生に至っては部活動という特殊な仕事のために、勤務時間が超過し過ぎていると、ニュースになりました。

ちなみに部活動で休日出勤したときの手当は一日でも数百円です。

基本的に教師には残業代がありません。私立のことは分かりませんが、公立ではありません。

勤務時間を超えて働く教師がほとんどのはずなのに、残業代はないのです。

なぜか?

公務員だから?
教職は聖職だから?
全員に残業代を払うと税金がいくらあっても足りないから?

色々言われているのですが、最大の理由は、「残業ではない」からです。

ブラック企業だの、ダンダリンだの労働条件に関しては昨今はニュースも話題も多いので、改めていうことではないのですが、残業とは、

・上司や管理職が組織や会社のために必要であると認めた業務であること

・上司や管理職の指示のもとに行う業務であること

…ような仕事のことを言うらしいのです。(細かい言葉遣いは違いますね。でも意味は間違っていないはず)

さて、教師の残業はというと、ほとんどが自分の判断で居残っているのです。上司や管理職の指示ではありません。

だって、まず上司や管理職は教頭と校長しかいないのですから、ヒラ教諭が自分のクラスの仕事のうち、何をどこまで進めているのか、なんて把握しちゃいられません。

授業の準備、ワークシートの作成、漢字練習帳の丸付け、テストの採点、作文の添削、、、など、管理職はノータッチです。

教師が「明日までにやらないとマズイ」と自分で判断すれば、残業するのです。そこには、組織のために必要だとか、上司が認めるとか、そんな手続きはありません。

つまり、自主的にやる仕事のため、残業の範疇には入らないのです。ま、教師たちは残業だと思っていますし、「残業代なんて出ないのにみんな頑張るねぇ」なんてグチりながら、自分たちは残業をしていると思っています。

採点も授業準備もワークシート作成も、ひょっとして仕事をテキパキとこなし、スキマ時間を有効利用することができる人ならば、残ってやる必要がないかもしれません。
残ってやる人は、ただ単にダラダラとやっているだけかもしれません。

なんか、どこかで聞いた話だなと思われた方は、そうです、昨今、ホワイトカラーエグゼンプションで騒がれていることが、なんと、何十年も前から教師には適用されているのです。しかも、年収が300万円くらいだったとしても、です。

労働時間あたりの質を上げろ!

なんて、本当は教師に聞かせなければならないのかもしれません。
教師は日頃、費用というものを意識することがほとんどありません。コスト意識は低いです。自分の年収が、仮に500万だとしても、保険や環境設備維持を含めれば、その人にその倍の1000万くらいかかる、ということを知らない教師は少なくありません。

しかし、教師に残業代がない本当に大きな理由は、実は、自分で判断して残って仕事をするから、ではありません。もっと、決定的な理由があります。

それは、教師は自分たちで仕事を増減できる、ということです。

日々の仕事における決定機関は、同じ学年や教科ごとに編成された学年会議や教科会議と呼ばれる5〜6人の打ち合わせです。
また、それとは別に行事や全校に関わる問題を扱う部会があります。基本的には、各学年から1〜2名ずつ出席して、職員会議の議案を事前検討する、といった役割を負っています。

それより、大きなものは職員会議です。

それら、大小の会議は、ヒラ教諭によって構成されています。そして、最高決定機関である職員会議は、基本的に全員が出席して意見を言う非効率なまでに民主的な会議です。

何を言いたいのか、もうお分かりだと思いますが、教職という仕事は、私の知る限り、教師が仕事を減らそうと思えば、減らすことができるシステムをとっているのです。
提案するのも、決定するのも自分たちなのですから。

例を挙げます。

昨今、全国の小学校には、業者テストというものが広まりつつあります。学力調査ではありません。

学校のテストのことです。

小学校のテストといえば、先生たちが作るものでした。手書きにしろ、タイプライターにしろ、またパソコンにしろ、先生たちが手作りしていました。もちろん、今も手作りしている先生方や学校も数多くあることでしょう。

テストを見れば
「ああ、これは○○先生が作ったな」
と子どもたちでさえ、分かることも多かったと思います。

しかし、今は、教材会社の作るテストを購入し、子どもたちを評価する学校も増えてきています。

一年分のテストを前もって購入するのです。そして時期が来れば、それを一枚ずつ子どもたちに取り組ませるのです。

なぜ、そんな業者テストが広まりつつあるのでしょう?

理由1
学力調査を念頭においているから。

業者テストは、教科書はもちろん、毎年の学力調査の出題傾向を分析して作られています。教師がする分析よりもはるかに精度が高いと言わざるを得ません。学力調査で好成績を収めるには、効果があるとしている学校もあるでしょう。

理由2
教え漏れ、を防ぐため。

教師は教科書を最低基準として教えることが求められています。しかし、人間ですから、教え漏れが発生することがあります。そんなときは、後に教え直すとしても、テストからは除外しておこうか、となりがちです。その点、業者テストを事前にチェックしておけば、教師は教え漏れを防ぐことでき、テスト問題の質を全国レベルで揃えることができます。

理由3
教師は多忙であるから。

教師の忙しさは過去に何度も触れています。
「なぜ教師は心を病むのか」
「教師はなぜ忙しぶるのか」
などを読んでいただければと思います。
つまり、これはアウトソーシングです。テスト一枚作るのに、2時間も3時間もかけ、それをまた他の先生がチェックして、修正し、印刷する、という手間ひまよりも、教師の本分である授業を工夫すべし、というわけです。

そんなわけで、テストを手作りする作業をアウトソーシングするかどうかは、誰がきめるのかというと、管理職ではなく、教師全員で職員会議できめるわけです。

推進派は上記のような理由を並べ立て、反対派も同じくらい理由を言って、最後はたいてい多数決です。

ですから、仕事を減らすのは教師自身なのです。

仕事量を自分で裁量できる人間たちが、さらに自己判断で超過勤務をして、それが果たして残業に該当するでしょうか?

教師が労働基準監督署に駆け込んだら、監督官は調査に入るでしょうか?

無理でしょう。

きっと言うはずです。
自分たちでまず仕事を絞りなさい、と。労働環境を自ら改善するのは労働者の義務です、とかかんとか。

教職員の組合員のみなさま、今のシステムではいくら活動したって、残業代は勝ち取れません。

残業代がほしいなら、多数決ではなく、トップダウンを採用すべきですし、トップダウンが許せないなら、残業代は許されません。

ですから、所属する組合が異なろうが、非組合員だろうが、非常勤だろうが、みんなで知恵を寄せ集めて、仕事を精査して、減らしましょう。

せっかく、私たちには決定できるシステムがあるのですから。