長い間、書かないままに時間が経ってしまいました。それでも、この三ヶ月の間、たくさんの方々がブログを読んでくださり、コメントをくださり、とても嬉しく思います。
教師の方も、元教師の方も、そうでない方も、教育という仕事を考えている方がこんなにたくさんいるんだと、私自身が励まされています。本当にありがとうございます。
さて、私がサボっている間に、いろいろな事件がありました。私がサボっている間にもあれやこれやと教育や学校にまつわる色んな事件が起こりましたが、2学期が始まろうとしているこの時に考えてみたいのは、「体育とダンス」です。
2学期に運動会があってダンスを教えなきゃっていう先生は多いでしょうから。
先般の指導要領改定により、体育において武道とダンスが必修化されました。小学校においては、表現・ダンスという分野に取り組むことになりました。
しかし、なぜ今さらダンスなのでしょう?
ストリートダンスが流行っているから?
エグザイルが国民的グループと呼ばれるようになったから?
習い事としてダンスが市民権を得たから?
ダンス協会と文科省が手を結んだから?
ダンスのたしなみがないと海外で恥をかくから?
よく分かりません。
しかし、何か新しい指針を打ち出したい文科省と、ダンスをもっと盛り上げたい業界にとっては、お互いの利益にかなった施策であることは間違いなさそうです。
私が思うに、ダンスというものが、特にストリートダンスというものが、ひょっとしたら子どもを明るく前向きに育てるために有効のではないかと、世間が(大人たちが)思い始めたのは、90年代も終わりに差し掛かっていたころだったと思います。
そう、アクターズスクール全盛期。
こう書いている私が頭にあるのは、SPEEDというグループのことです。
バブルがはじけ、不景気という言葉が挨拶であるかのように使われていた空気の中、SPEEDという女子中高生たちは、満開の笑顔と全力のダンスと、どこまでも前向きな歌詞で、大人たちの虚無的な態度と思考を叱りつけたようでした。
当時、不景気とは言いつつも、CD売上は歴代最高を更新しつづけていました。現在とは違い、アイドル不況と呼ばれ、アーティストと名乗る人たちが、ジーンズを履いて個人エピソードを散りばめた小さな愛を歌っていたように思います。多くの日本人は、若者たちは、そんな小さな愛を大切に大切に抱えて背中を丸めていたのかもしれません。
しかし、SPEEDは全力でダンスをしながら息を切らして
太陽浴びて〜全部ぬいじゃえば〜
と歌ったのです。
どこでもいいから就職さえできれば、安定した公務員になれれば、と氷河期と言われた就職戦線を低姿勢でくぐり抜けようともがいていた若者たちは、
大好きな歌とダンスを一生懸命やって夢をかなえました
というメッセージを体全体で表現する彼女たちを、時に眩しがり、時に憧れ、時に妬んだんだろうと思います。
彼女たちがあんなに前向きで明るくてエネルギー全開なのは、ダンスをしているからなのではないか?
ダンスをすることは、自分の気持ちを表現することにつながっているのではないか?
ダンスは子どもの心と体を健全に育てるために役立つのではないか?
きっと、そんなことを考えた役人や先生がいたのではないでしょうか。
まあ、そこからはお役所仕事なので、さまざまな審査会を経て、指導要領改定を経て、10年経って現在があるわけです。
ま、ただの個人的な想像ですが。
しかし、もしSPEEDというグループがいなければ、現在、指導要領にダンスの三文字はないと私は思います。
さて、昔話が過ぎました。
現在の話をします。
ダンスが指導要領に入って、小学校現場で何かが変わったのかというと、ほとんど何も変わりません。
なぜなら、一年に一度、運動会があるからです。
運動会では必ず表現・ダンスの種目があります。夏休みを終えた9月から私の勤める学校では練習が始まります。10時間くらいは練習するでしょうか。カリキュラムに占めるダンスの時間はその運動会用のダンス練習で埋められてしまっているのです。
それ以外にダンスに取り組める授業時間は小学校体育にはありません。器械体操も球技も陸上競技も水泳もやらなければならない体育は常に時間不足です。
体育にダンスを導入して子どもたちを明るく前向きに!と思った方の期待には応えていないかと思います。
リズムに乗ること。
感情を体で表現すること。
友だちと息を合わせること。
心を解放すること。
そんなダンスのおもしろさを順を追って学ぶ余裕なんてありません。
学校現場での表現・ダンスは、子どもたちにとっては「運動会という発表会までになんとか形にしなければならない」と焦る教師たちに追い立てられてダンスを詰め込まれる時間なのです。
暑くて、汗だくで、砂まみれで、先生がやたらとマイクで怒鳴ってた。
そんなことしか記憶に残らない子も多いかもしれません。
なんで、そんなことが起きるのでしょう?
簡単です。
教師が踊れないからです。
若い先生の中には、小さい頃からダンスをやってた、という人も増えつつあるかもしれません。そんな先生は自分で振り付けを考え、子どもたちの前で楽しく踊って教えることが出来るでしょう。
しかし、ほとんどの多くの教師はダンスをほぼ学ばずに教師になっていると思います。
体育が得意であればあるほど、ダンスをしたことがないというのが実際ではないでしょうか。
運動が得意であればあるほど、きっとダンスとは無縁に生きてきたからです。運動が得意であれば、きっと自ずとサッカーか野球かバスケなどの球技に取り組むようになるからです。
ダンスはそんなメジャースポーツから溢れてしまった子どもたちの種目であることが多かったのではないでしょうか。
そしてやってみれば分かるのですが、メジャースポーツが上手いからといってダンスがうまいとは限らないのが面白いところです。
運動が苦手な子がダンスが上手だったりすることも多くあります。きっと、ダンスとは体を動かすということだけが体育であり、リズムに合わせたり、音楽に振り付けを当てはめたり、感情を体で表現したり、といった能力や楽しみ方は体育の範疇から外れているのでしょう。
ダンスは体育というより音楽だ
と、言えるのかもしれません。
というわけで、小学校教師は自分たちで振り付けを作ることができる人間が少ないため運動会が近づくとダンス講習に出かけていき、振り付けを学びに行くのです。
それを必死で覚えて、子どもたちに伝えます。
教師がそんな有り様では子どもたちにダンスを「教える」ということまではなかなかできません。
文科省のねらいが小学校現場に息づくにはまだまだ時間がかかります。子どもたちや教師たちへの影響も考えれば、Eテレのダンス番組(エグザイルが教えています)のような取り組みももっと増える必要があるでしょう。
最後に少しダンス業界に触れておきます。
長い間、ダンスでは食えないと言われてきました。ストリートダンスに打ち込んでもその先がないのです。
ダンスを踊って食べていけるだけの給料をもらっている人はきっと日本に10人もいないのではないでしょうか。
多くの人がダンス教室を開いたり、主宰したり、別の仕事を持っているはずです。
それでも、その人たちはダンサーとしてはトップクラスです。
ほとんどのダンス講師は、若者たちであり、フリーターです。ダンス講師としての給料は日々の教室に集まった生徒数による歩合制であり、少なく、そして安定しません。
メインのアルバイトは別に持っているはずです。
一生懸命ダンスに取り組んでも、野球選手やサッカー選手のように稼げる未来は今の日本にはありません。
ダンス人口が増え、それが日本の価値あるエンターテイメントのひとつとならない限り、ダンス業界の未来はありません。
ですから、学習指導要領にダンスが組み込まれることによって、ダンサーたちが小中学校に赴いたり、先生たち向けの講習を開いたり、そして何より学校でかじったダンスをもっとやってみたいとダンススクールのドアをたたく子が増えてくれればとダンス業界は期待をしているでしょう。
ダンサーの暮らしなんて私もほとんど知らないのですが、昔、私もメジャースポーツから逃げたことがあって、ひょんなことからダンスに熱中する人たちと仲良くなったことがあるのです。
彼らは一様にスポ根がきらいで、集団スポーツが苦手で、でも、何かにひたむきに打ち込むエネルギーを持っていました。
ジャズダンスに打ち込むある人は、それがバイトであると分かっていながらもディズニーランドのダンサーを目指していました。
ヒップホップダンスに打ち込むある人はアルバイトでアメリカダンス留学の費用を貯めつつ、ダンスの大会で上位入賞を目指していました。
もう昔のことです。
でも安室奈美恵やSPEED、ZOOがすでに世に出ていた時代です。ダンスはほんの一握りのダンサーや芸能人を除いて職業にはなっていなかったことでしょう。
ダンスに打ち込みたい少年少女もきっと親や周囲の反対があったかもしれません。
しかし、SPEEDの登場や、数々のダンスグループの活躍、そして何よりエグザイルの長期的な成功があり、それに憧れるダンス人口やイベントが増加して、「ダンスでメシが食える」ことが夢でなくなりつつあります。
ダンスにも全国高校大会があり、体育にダンスが組み込まれたこともあり、ダンスのスポーツとしての認知も広まっています。近い将来、メジャースポーツになるかもしれません。
というわけで、9月になれば、運動会に向けてダンス指導が始まります。ダンスの上手い子たちには、「先生、ヘンだよ」とからかわれながら、必死でやります。
でも、最初にも書きましたが、ふだん体育の苦手な子たちの中に、素晴らしいダンサーが毎年います。今からそれが楽しみでなりません。
体育にダンスが入ったことで、体育を好きになる子が増えるのなら、指導要領改定も一つの意味はあったでしょう。
ま、こっち(教師)は大変ですが…