2011年8月21日日曜日

万歳三唱は「つらい時代」を思い出させるのか?

 夏休みが明ければ、体育会や運動会の練習が全国各地の小中学校で始まることと思います。そこで、競技に勝ったときに子どもたちがやるであろう「ばんざい」についてちょっと書いてみます。

 もちろん、「ばんざい」なんで今どきやらないよ。という学校や地方もあるかもしれません。でも、綱引きや騎馬戦が終わったときに「やったー」だけでは、なんとも締まりのない印象を感じてしまうのはきっと私だけではないと思います。

 私の話をしましょう。
 新任1年目に体験したことです。初めての体育会で綱引きを担当することになった私は、赤白に子どもたちを分けて2回ないし3回勝負をさせた後に万歳三唱をさせました。

「2対1で、赤組の勝ち! 赤組のみなさん、万歳三唱をします! ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい!」
というように。

 練習のときからそうしていましたし、それまでだれもそのことについて私に何かを言う方はいなかったのですが、本番当日に自分の担当が終わってほっとしている私にベテランの教師が近づいてきて言いました。

「今の時代、万歳三唱はしない。万歳三唱がそもそもどんなものか知ってるか?」

 私はきょとんとしました。何を言っているのかさっぱり分からなかったからです。

「万歳三唱は、つらい時代を思い出させる。言ってる意味が分かるか? よく考えてみなさい。」

 なんとなく気がつきました。ああ、戦争のことかと。
 ふと見ると、いつの間に集まったのか、二人ほどまたベテランの教師が私のそばに来て、うんうんと頷いていました。私は、すみません、そこまで気が回りませんでした、と言うしかありませんでした。

 気になって、ちょっとウィキペディアを見てみると万歳三唱とは、明治天皇に向かってしたのが始まりらしく、天皇陛下万歳やバンザイアタックなどから軍国主義を想起させるものと受け止められることもあるらしいのです。

 しかし、です。
 綱引きの後の万歳三唱で、天皇陛下万歳を思い起こすでしょうか。バンザイアタックという玉砕作戦を思い起こすでしょうか。と、私は疑問に思いましたが、それが教育界のスタンダードならば仕方ありません。綱引きが終わったときは、「やったー」で終わらせるべきなのかもしれません。

 万歳というものが読んで字の通り、「万の年」、「御代がいつまでも」という意味を現実に持っていたのはいったいいつの時代までなのかは知りませんが、ウルフルズの「バンザイ〜好きでよかった」を青春時代に聴いたり、北野武監督の「監督ばんざい」を見たりしても、私はまったくキナ臭いものやファシズムのようなものを感じませんし、頭をよぎることすらありません。もちろん、不勉強なのかもしれませんし、戦争を経験している人にとっては苦痛なのかもしれません。

 ただ・・・ですよ。そんなこと言うのなら、体育会なんてそもそもしちゃいけないことになりません? 整列なんてさせちゃいけないことになりません? まあ、その・・・教師の某組合(それについてはまた追々)としては色々なことに神経を尖らせるのかもしれませんが。さて、今年はどうしようかな・・・バンザイしようかな・・・やめよかな・・・

 

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