2011年8月26日金曜日

職員会議はなぜ長いのか?

「ねえ、学校まだ電気ついてるよ」
「きっと先生たちが職員会議してるんだね」

なーんて、会話はきっとどの学校の周りでも一度はなされているはずです。


しかし、なんで教師はあんなに職員会議ばかりしているのでしょうか?
職員会議という名前からしても、なんていったいなんの会議なのかわかりません。普通の会社に直して言うのならば、「社員会議」になります。名前があまりに曖昧すぎて、いったいどんな会議なのかさっぱり分かりません。

社員会議? なんじゃそら? 社員全員で、社内のあらゆることを検討するのか? と思う方もいらっしゃるかもしれません。

正解。

そうです。職員会議とは、職員全員で学校のあらゆることを検討/決定していく会議のことです。

えっ!?いちいち、全員が全部に関して会議をするのか? なんと無駄な! と思う方もいらっしゃるかもしれません。

正解。

無駄なのです。いったい、この職員会議というシステムがどのように形作られていったのかは知りませんが、「ひとりひとりを大切にする」という子どもに対してのスローガンがいつの間にか教師に対しても適用されてしまったに違いありません。形式上は、全員が参加して全員の意見を反映している、とするために。

もちろん、小さな学校では全員で会議をしてもいいでしょう。世の中には校長先生から用務員さんまで含めても10人程度という学校もたくさんあるはずです。しかし、40名を超える職員がいる学校でも、職員会議はよほどのことがない限り、全員参加です。

私の話をしましょう。

私の勤める小学校は、教師は約40名います。その教師が職員室の自分のデスクに座りながら、会議をすることになります。最初はびっくりしました。会議の席は自分のデスクなのですから。サラリーマンのときにはそんな会議したことありません。会議は会議室でするものでしょう?しかし、学校現場では職員室の自分の机で会議をします。奇妙です。しかし、私以外にこれを奇妙だと思っている人はいないようでした。

自分のデスクに座りながら会議をするとどうなるか?

当たり前のことですが、「ほかごと」をすることになります。一生懸命、広い職員室の端まで聞こえるように大きな声で話している先生の声を聞き流しながら、書類を書く先生、問題を作る先生、テストの丸付けをする先生・・・いろんな「ほかごと」があちこちで見られます。だって、自分の机にはやらなければならないことが積まれているのですから。そりゃ、やるでしょう。

議案を聞く方にも問題があるのですが、その一生懸命話す方にも問題があります。

学校現場とは毎年ほぼ決まった行事を決まったように行うことが期待されています。だから、目新しいことなどそんなにないのです。だから、提案書も去年の流用がほとんどです。一生懸命しゃべられる内容も聞いたことがあるものになります。したがって、長い間、その学校にいる先生になればなるほど、もうそんな提案書なぞ見なくても経験で分かるし、意見も言えるし、いちゃもんをつけることもできるのです。

誰だって思うはずです。

じゃあ、配るだけ配って「見といて」でいいじゃん。
じゃあ、配らずにサーバーに上げて必要があれば見ればいいじゃん。

でも、教師はそれをしません。
まるで、一から読むのが美徳であるかのように読みます。すべてを綴じて配るのが最善であるかのように配ります。「例年通り」ばかりなのにもかかわらず、例年通りそれを読むのです。さすが、例年通り。

そして、ベテランが経験にものを言わせて、意見を言うとそれが採用となります。若手が少し頭を使ってちょっと「例年通り」を変更すると、「例年通り」をこよなく愛するベテランから、「例年通り」の正当性を主張されて折れざるをえなくなります。

それを毎月繰り返すのが職員会議です。

体育担当や生徒指導担当など、担当があるにもかかわらず、担当が任されて進めることができるものは少なく、担当が考えたものは職員会議で承認されないと実施できません。極めて非効率的なシステムなのです。全員が全員の提案を聞き、そしてそれを承認するという極めてバカ正直なほどに民主的な(形式だけは)システムです。

そりゃ、長いです。眠いです。
うまく行かないことがあっても、多少の不備があっても、誰かが必死で考えて責任を持ってやることを認め、見守る、任せるということをしないと、このシステムはこれからも教師の時間を奪い続けるでしょう。


え? おまえがなんとかしろって?
そうですね・・・そうしたいんですけど・・・また会議が長くなるでしょ。


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