2013年2月9日土曜日

教師はなぜ心を病むのか?

文科省が先日発表したところによると、心の病や精神疾患で休職した公立高中小学校の先生は2011年度で5274人。
公立高中小学校の先生は日本全国で約90万人いますから、0.6%にあたります。パーセントでみると何だか少ないような気がしますが、200人に1人もいることになります。

これはすごい数字です。
乱暴に言うならば近所の3〜5校の中に1人はいることになります。

病気をした先生ではありません。病気で仕事を休むことになった先生でもありません。心の病気で仕事を休むことになった先生が、です。

また、療養休暇を取った教師のうち、心の病が原因とする人が6割を超えています。

教師はガンや脳卒中よりも、精神疾患を気にしなければならないのです。こぞってガン保険に入るより、心の保険に入る必要があります。

しかし、一口に心の病と言っても、教師たちはどんなことで心を病むのでしょうか?

まず、第一に挙げられるのは、「多忙」です。

教師の多くは、事務処理を円滑に進めることに希望を抱いて教師になったわけではありません。

話があっちへこっちへ飛びに飛びながら怒りをまくし立てる保護者や近隣住民のクレームをうまくなだめることにやり甲斐を感じているわけでもありません。

ましてや、書式も用紙サイズもバラバラで、コピーにコピーを重ねたような書類ばかりで、意味があるのかないのか分からない多数決が横行する職員会議で活発に意見を言うために教師を志したのではありません。

子どもたちの成長する姿を間近で見たくて、自分が今まで見聞きしてきたことを次の世代に伝えたくて、これからの日本を支える人材を育てたくて、そして、なにより子どもと遊ぶことが好きで、学校は楽しいところだと子どもたちに伝えたくて、教師になったのです。

ところが、現実は違います。もちろん、8:30から15:00くらいまでは、授業や給食でずっと子どもたちといっしょです。クラスでケンカや問題行動があったときは、教師だって落ち込みますが、子どもたちは基本的には楽しいことが好きで楽しい雰囲気を作りますから(ふざけすぎることもありますが)、それにつられて教師も心を持ち直せることが少なくありません。

体は疲れますが、心が病むことは少ないように感じます。

しかし、ひとたび子どもたちが下校すれば、そこからは大人の世界です。会議や打ち合わせが波にように次から次へと襲ってきます。

「あの子、今日の算数分かってなかったから、ちょっと残して教えようか」
などと思っても、会議がそれを許してはくれません。

目の前の子どもが困っているのを見過ごして、会議に出なくてはならないのです。

私の学校に、大人の都合よりも子どもを優先するのが教師だと、打ち合わせがあるのを分かっていながら、子どもの勉強をみた若い教師がいますが、あとでこっぴどくベテランから注意を受けました。

「周りを見ろ、全体を考えろ」と。

放課後の教師の現実です。テレビドラマのように、ふらりと子どもの家に寄って他愛ない話をしたり、一緒に遊んであげたりする教師の姿は今はもうほとんど見られないはずです。

発達障害傾向のある児童を理解するための研修会、問題行動の多い児童を共通理解する会議、子どもたちの学力を補償する手立てを考える会議、など、本来ならば子どもたちを救うための会議であったとしても、それらが増えれば増えるほど、現実は目の前の子どもたちを置き去りにすることにつながっているのです。

教師に憧れた人であればあるほど、子どもたちのことを愚直に考える人であればあるほど、良心に呵責を感じ、心を病むことになります。

追い打ちをかけるのが、水面下で行われるパワーゲームです。

各学年や各担当同士で、いかに自分たちがスムーズに仕事をこなせるか、いかに思い通りにことを運ぶか、その押し合いが毎日のように行われます。お互いが多忙ですから。

もちろん学校によっては、水面下などではなく、職員会議や朝礼などではっきりさせるところもあるでしょう。

しかし、女性教師が多い小学校では噂話をいつの間にか既定路線に持ち込んだり、ベテランをいかに自分たちの味方に巻き込むかに躍起になったり、といったせめぎ合いが日常茶飯事なのです。

この気の遣い様や、または気を遣うくだらなさに、きっと真面目な教師は疲れ果ててしまうのです。
こんなはずではなかったと理想と現実に挟み潰されるのです。

そしてもうひとつの大きな原因はやはり「保護者」です。

いつからか「地域に開かれた学校」というスローガンが定着し、地域住民や保護者が学校を評価する時代になりました。

ぐるなびやホットペッパーと同じです。レヴューに星です。

もちろん、学校には評価サイトはありませんから、アンケートという形になります。
アンケートは匿名ということもあって、ときには厳しい意見が来ます。「これは私のことだろうな」と、すぐに気がつくこともあります。

しかし、これはまだありがたいことなのです。厳しいですが、きちんと手順を踏み、枠組みの中で意見をおっしゃっているのですから。

問題は枠組みの外です。

子ども同士のトラブルは、まずは子ども同士で話し合って解決させたいと教師は考えます。将来、必要な能力だからです。

ところが、子どもがお父さんお母さんに訴えたときに、親御さんがいきなり相手に連絡を取ったり、学校に怒鳴り込んだり、あの子は要注意などと噂を回したりすると、ややこしくなることがあります。

教師も子ども同士の解決だけでなく、親同士の間に立たなければならないことも多く、両方をともにソフトランディングさせるのは難しい仕事です。その際、必ずと言っていいほど、親御さんたちの矛先は教師に向かいます。

「指導ができていないんじゃないですか」
「クラスが荒れてるんじゃないですか」
「先生にはまだ高学年は無理なんじゃないですか」

子ども同士でなんともならないことは多くはありません。子どもの心は憎しみをいつまでも抱えていられるほど強くはないように思います。

しかし、親御さん同士のこじれは、残ります。同時にそれは教師に対する不信感となります。

手間をかけ、時間をかけ、心を砕いたのにも関わらず、残念な幕引きをせざるを得なかったときの心労は後を引きます。

重ねて、
「あの先生は頼りにならない」
「あの先生は事なかれ主義だ」
「あの先生は何もしてくれない」
などと、保護者の間でメールや噂が回ることもあります。

最悪の場合は、子ども同士のトラブルがいつの間にか学校の管理責任問題となり、教師を罷免させようという動きになります。

昨今、メディアでは体罰のニュースが次から次へと出てきますが、
おそらくはほとんどの教師は、叩けばホコリの出る身です。
慣れた弁護士が教師を罷免させようと丹念に聞き回った上で、法を振りかざしたら、いつかの一言で、いつかの指導方法で、いつかの対応ミスで、教師は法に屈することになるでしょう。

謝罪の上に、戒告や懲戒処分が待っているはずです。

もちろん、ここまで来るときには既に多くの教師はまともに仕事を続けられません。精神を病んでいることでしょう。

たとえ、気丈に教壇に立っていても、裁判に持ち込まれては、その教師は今後どこへいっても、事件を引きずることになるため、教育委員会が間に入り、仲裁するのではないでしょうか。

担当教師は異動させる。そのかわり、告訴は取り下げてくれとかかんとか。

それによってもまた教師はほとぼりが覚めるまで、自宅療養となり、分類としては「心の病」にさせられるのではないでしょうか。

以上が現在私が学校現場にいて、見えている「心の病」の正体です。ま、多少の憶測を含みますが。

先生たち、がんばれ!

なんて、とても言えません。

まず、業務とくに報告や会議をスリム化すること。
次に保護者対応の専任担当者を置くこと。(ベテラン退職教員なんかがいいですね)

文科省のみなさん、こんなブログ読まないと思うけど、頼みますよ。5000人が療養休暇取るより、コストかからないでしょ?

81 件のコメント:

  1. 会議で子供に時間が割けないくだりは「なるほど大変だな」と思ったのですが、
    以下の部分で「はて」と思いました。

    >もちろん、ここまで来るときには既に多くの教師はまともに仕事を続けられません。
    >精神を病んでいることでしょう。

    この程度のことならサラリーマンにも当てはまります。
    上司に部下にお客さん。
    教師だけが特別大変とは思えない・・・と思ってしまいました。

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    1. サラリーマンっていってもいろいろですが、教師に心を病む人が多いのは客観的事実ですよね。
      ということは、やっぱり教師だけが特別大変なんだなと思います。

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    2. サービス的要素もあるが、それ一辺倒では、ゆとりのない狭い了見の世の中になってしまうのでは。それが親世代になり、堂々巡りになるのでは。

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    3. >教師だけが特別大変とは思えない・・・と思ってしまいました。

      その通りだと思います。
      あなたの想像するサラリーマンの方も大変なのでしょう。

      ですがその事実が苦労されている教師が多いことを否定するものではないですよね。

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  2. われわれ団塊の世代が小学生だったころ、クラスは60人以上、「デモシカ」と呼ばれた先生たちはそれでものんびりと、しかし各自の思うようにクラスを指導してくれていました。時には毎日がマラソン、放課後は器楽演奏ばかりの日々もありました。その中で勉強ばかりではない「チカラ」を伸ばす子どもも多く、楽しかったものです。報告書や、会議や、研修はほとんどなくて、夏休みはしっかり先生も夏休みだったはずです。不必要なことで多忙になってしまったのは、すべて文科省と、教育委員会のせいに違いないと思っています。

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    1. 文科省と教育委員会を悪者にするのは簡単ですが、全く解決になりませんし、真の悪者は、学校と教員のキャパシティ以上に教育行政に対して物事を要求する我々国民ではないですか。
      民間企業でも、顧客の求めに応じる限界はありましょう。
      現実的解決策として、教員の事務的作業を集約して代替する事務職員を学校に増員するのが効率的ではないでしょうか。

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  3. せっかく試験受かって教師になったんだから、頑張らないとだめですよ。           
    壁にぶつかったら乗り越えろ!っていえなくなりますから。

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    1. 現場の人間です。
      「壁にぶつかったら乗り越えろ」ですか。そんな単純な指導が上手くはまる生徒ばかりではありません。スポ根マンガじゃないんですから。
      その指導がはまる生徒ならそれで良いですが、はまらない生徒からすれば「的外れなことばかり言ってくる」「自分のことを考えてくれない」と感じることがあります。
      児童・生徒には、それぞれ言ってほしいことば、聞いてほしい話があります。みんな同じじゃないんですよ。個人の違いだけじゃないです。その子の家庭環境、進路なども踏まえながら、その子に必要な指導や支援を見極めながら子どもと向き合うのです。壁はいつでも乗り越えるものだと決めつけて、教員や子どもたちに接するのはやめてあげてくださいね。

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    2. ブログにも書いてあるでしょう。
      試験乗り越えて教師になったのは校務分掌や下らない会議、一体いつ役に立つのか分らない研修に必死になるためじゃないんですよ。
      頑張りたかったのは子どもの成長の手助けをすることなんです。

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  4. サラリーマンは、始めから上司、部下、顧客いろいろなかかわりを覚悟して就職しています。
    教員は、子供とのかかわりの専門職のイメージで就職しているのです。
    いってみれば、理系の専門職で就職したはずが、企業の都合で、上司、部下、顧客いろいろなかかわりを求められて、心を病むというイメージだと思います。

    ちなみに、私は企業からの転職教員です。雑務や保護者対応は要領よくやっています。子どもとのかかわりを大事にされている教員ほど、事務仕事に追われてしまうという現実は、確かにあります。

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  5. 保護者対応、確かに大変ですね。
    いろいろな親さんがいらっしゃいますから。
    子供のことを何から何まですべて学校が「しつけ」をするんだと思っていらっしゃる方も。
    以前、懇談をやって、生徒が座っていた椅子を入れないのを見て、その保護者の方が、「何も言わないんですか?」
    とおっしゃいました。
    目が点になりました。
    ご自身が育てていらっしゃった子供が、そんなこともできていないのは、学校のせいだ…ということなのでしょう。
    「先生に対しての口のきき方が悪い。私の子供に何を教えているのか」
    そんな言葉をいただいたことも…。
    悲しくなりますねぇ。

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    1. 先生を人として見ていない・見下しているような親は目に付きます。
      ただ、先生も毅然とした態度で親と向き合う必要があるのではないでしょうか。
      「下手に逆らうと何を言われるかわからない。」そんな弱いところを見透かされているから親が変な方向に行っているのではないでしょうか。

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    2. 保護者と教師がガツンと叱る。が正常かな?
      大人対子供ですから。

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  6. 私が小学生だった30年ほど前は、学校はもっとゆっくりとゆったりとしたところだったはずです。もちろん、いじめやけんかもありました。でも、クラス全体でみんなで真剣に考えた時間を覚えています。それが、今では時間的余裕も「ゆとり」も内容に感じますね。生徒も時間に追われているようで。。。

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  7.  「お母さん」という役目には、大量の仕事が求められのだなぁと最近考えていました。
    「先生」という役割にも、大量に仕事が課されるのですね。
    事務仕事が結構な仕事なのですね。
    1つ1つの仕事が楽でも、1つ1つの仕事は問題なく熟すことできるのだとしても
    1人の人に大量に求めては、大変に成ってしまうのですね。
    大学では事務員は別に居て、助手も居る事が有りしで、教員1人に仕事が集中しない様に成っているのですね。
    「助手」の存在はきっととっても大きいのだと思いました。

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    1. お母さんが1人でやっていた事が共働きによって分散され、行き着いた先が教師なのかも?

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  8. 私、昨年、PTAの委員長をやるハメになりました。今まで、ほとんど学校行事なんか参加したこともなかったのですが・・・。そこで感じたのですが、まぁ私たち保護者の身勝手なこと!
    全くの無関心な方、考えがずれている方、一生懸命なんだけど空回りな方、身勝手な方、それこそ色んな方がいます。
    子供の学校生活が間近で見たくてPTAを引き受けたものの、見えてくるのはそんな面倒くさい大人とのやりとりばかり。
    学校の先生は、そんな保護者たちの相手をしなければなりません。
    それはもう大変な気苦労だと思います。
    たしかにサラリーマンも大変です!
    ただ、その対価は地位や信頼、給料といった自身が望んだものとして得ることができます。
    先生の場合、その対価は生徒たちの人間的な成長といった不確かなもののような気がするので、単純に比較はできないのではないでしょうか。

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    1. 対価の違い。
      とても大きな違いですね。

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  9. 病気休暇2ヶ月目に入った50代小学校教師です。心の病の原因として教師の多忙化があげられることが多いようですが、私の場合は、違っていました。帰宅時間は昔の方が遅かった(早い人もいましたが)全校集会があったりすると、深夜まで準備したりしていました。

     最近、「教育の商品化」とよく言われるようになりましたが、現在の保護者にはユーザーとしての感覚があり、学級を比較したり、教師をランクづけしたりするようになりました。20年前にはあまりなかったことです。真面目で堅い性格の私は、この変化に対応できるだけの柔軟性がなかったようです。感情的な摩擦が増え、次第にクレーム対応に追われるようになりました。この段階で不眠症になっていました。
     他校への転任を希望しましたが、最近はスポーツ少年団やPTAのつながりを通して、メールであっという間に噂が伝わります。(この噂の一部は、子どもたちにも伝わります。) 一度悪い先生だということになれば、そういう目で見られるようになり、教師本人にも伝わるため、モチベーションが下がり、下がれば更に厳しいクレームが来るようになります。
     疎外感、無力感、孤独感、取り残され感などが重なり、どんどん深く沈んでいきました。
     現在は、6種類の向精神薬を飲んでいますが、もう教壇には立たないつもりです。

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    1. では休職ではなく、早くやめていただきたい。あなたたちのように残された現場の者のことを考えずにやらたと学校を休み、休職するから、その負担が増えて、さらに多忙になるんです。
      お金にしがみつかず、早くやめる決断をしていただきたい。

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    2. この返信者様のように何事もきっぱりと決断し切り捨ててはいけないのが教師という仕事の一部分でもあるわけです。
      というのは子どもに接するときに幼なければ幼いほどこぼれる思いを救ってやらなくてはならない。締め切りが過ぎた課題でも受け取ってやる。大学では許されないことですが。そういった価値観と世間が要求する成果主義の価値観がぶつかり合うところが教師の心の中だと理解しています。
      極論ですが、休職する教師に退職を突きつけていると、残った教師は効率的な人ばかりになってしまうかも。もちろん効率的でしかも子供の価値観を大切にできる教師もいるとは思いますが、教師個人の問題ではなく、職場内で共有する意識が変わってしまいます。
      負けたもの落ちこぼれたものはさっさとやめろほかの迷惑だ。そんな価値観の先生に皆さんは自分の子供を教えてほしいと本当に思っているのでしょうか?

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    3. 一人目の返信者さんは

      >現在は、6種類の向精神薬を飲んでいますが、もう教壇には立たないつもりです。

      この一文にご立腹されてるんでしょう。まあ理解はできます。

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    4. どう理解されたのでしょう?
      さっさと辞めろだのと、一体どういうつもりなのでしょうか?
      必死に生きて、何が悪いのでしょう?
      端から見れば格好悪いかもしれません。
      ですが、世の中、そんな格好のいい人間なんて、そんなにいないでしょ!?
      たとえ今、理解することができなくても、そんな必死に生きていく姿を子供に見せることも大事なのではないでしょうか?

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    5. 私は定年退職者です
      >休職するから、その負担が増えて、さらに多忙になるんです。
      ①この言葉は現場の雰囲気を醸し出していますね。
      産休であれ病休であれ長期に休まれると、負担が増えます。
      私のころは担任になるのは講師以外の教員ですので、担任だった教員が休まれると大変でした。
      なので上記の「気持ち」は理解できます。
      ②しかし、反面多くの教師が精神的にダウンし、健康を害しています。
      これは単に一教師の問題でしょうか?
      私が退職する数年前に「絶対評価」に代りました。
      私も「当然だ」と思った口です。しかし、何年かやってみてその困難さは大変なものです。一気に時間が奪われました。
      私は中学の理科を教えていましたが、ある学年の学級を初任者の方と半分づつにしたときは、最高の忙しさです。
      考えても見てください。理科にはレポートがあります。どうやって「絶対評価」で付けますか?
      私は、勤務が終わるとよく飲みに行きました。
      しかし、退職する頃は多くが一人ですね。
      誘っても行く教員が居なくなってきたのです。
      車での通勤・・・部活の朝練も大きい要素・・・もその拍車をかけます。
      一緒に飲んでも「生徒指導がらみの批判」をされるのではないかと。
      結果、飲みに行ったとしても職場の話は激減! 
      結局それぞれが孤独のまま、悪がきとも対応しなければならない日々が続きます。
      へたをすると「見て見ぬふり」なども。だんだん自信を失い、休みがちになります。
      こんな風景を沢山見ました。
      私も付かれてへとへとですが、踏ん張って生徒指導を頑張る。
      単に起こってだけでは駄目なので、特活的分野も沢山やりました。
      生徒会役員を中心としたトレセンを一泊で持ち、一大イベントの文化祭にや合唱祭に繋げたり・・・
      ③私は今は「絶対評価」は反対です。
      実質的に無意味に近い、と思っています。
      近所の子の数学を見てやってますが、通信簿を見て驚いた。
      まぁ良くて「2」かな、と思いきや、なんと「3」!
      これでは誤解を与えるなと。「3」は一般的には「普通」なのですよね。

      長くなりました
      仲間同士がもっとつながらないと解決しませんね。

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  10. 教師はサービス業。民間と違うところは、気に入らなければ顧客にならなくていいですよ、売り上げが減ってしまうのは痛いけど、というのとは違って、下手下手に出て、何とか色々な面で丸くおさめていかなくてはならない。人間なので、時に頭にくる親も生徒もいるけど、感情は二の次で、うまく調整するのが第一。それがとても疲弊する。どの仕事も大変だと思うが、特に義務教育現場は初めから斜めに見られているし、慎重に慎重に対応しているのが現状で、そこら辺は民間とは違う部分かと思う。まあ金もらってやってるんで、きちんと責任を持ってやるのが当然。

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    1. 教師はサービス業ではありません。専門職です。しっかり学習してから投稿しましょう。

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    2. 否サービス業です、違うと言うならばナゼ私立を望む方が大半を占めるのでしょうか?
      私の時代は公立に行けない奴(学力が低い)がメインでした。
      しかし現代ではあの学校の制服が着たい、あの学校は校舎が綺麗等々本来の教育以外の所で生徒を呼び込む、つまりプラスαの(サービス)で儲けようとしてる訳ですから「サービス業」と言われても仕方ないでしょう。

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    3.  「教師はサービス業」と言い出したのは、ずいぶん昔のことだったと思います。当時の教育長が言っていましたから。文部省がら出たものではないでしょうか?「聖職者」として、お高くとまるな!という意味じゃなかったかと思うんですが、日教組の「教師は、労働者」に対抗したのかもしれません。当時は、よく考えませんでしたから・・・

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    4. 私は大手の会社の鉄鋼マンです。もうすぐ定年ですが、今年、後輩が自ら命を絶ちました。
      妥協を許さない、人知を超えた要求がそこにあります、それは”コンプライアンス”と呼ばれています。
      しかし、私の妻は、学校の中でそれ以上に苦しみました。
      死ぬのは簡単です。生徒に、家族に・・・しかも障害を持ったわが子の為に
      彼女は、狂いながらも耐えました。ギリギリで、5年経過しまだ進行形です。
      サラリーマン教師はいるかもしれません、ひょっとしたら・・・・
      しかし、心の底から、子供たちを成長させてあげたい・幸せになって欲しい
      と願い、そのためにこの道を選んだ人たちが、教育委員会によって蹂躙
      され、人生をめちゃくちゃにされる事実を・・・
      あなたは知らないようですね。

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    5. サービス業の定義を明確にしたほうがいいかと思います。教育にはサービス業的な側面があるのは否めませんが、対価を期待している業種ではないと思います。多くの先生方が、10年後、20年後に今教えていることが役に立つかもしれないという雲をつかむような思いで子どもに接しているのではないでしょうか。それはサービスなのでしょうか。

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    6. Education=教育、Service=給仕。建屋が立派等、企業選択にもある。学校は教育・学術分野でサービス業ではない。教育は教え育てるもの。仕えて給するものではない。教育と給仕の区別がつかぬとは、人に教えを請うでは無くて教えるのが当たり前なのか。。解らない事を教えて頂くのだ。金銭云々ではない。頭を垂れて頂くのだ。良いオトナがそんな事も出来ないのか。

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    7. 百歩譲ってサービス業だとしましょう。

      しかしサービスの対象は保護者でも地域住民でもなく子どもです。

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    8. サービス業だと思うのなら、免許をとって教壇にたてばいいと思う。
      現役教師

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  11. 中学校教師が忙しくなる原因は3つです。生徒指導と学校行事と部活動です。3つとも日本独特の物です。他の国には存在しません。「学力テストの平均点をあげろ」とどこかの首長が叫んでいますが、簡単なことです。この3つを中学校教育からなくせばいいんです。しつけは家庭教育、行事は地域の教育、部活動はクラブチームがやるものです。学校批判や教師批判をする前にもっと世界を見ましょう。どれだけ日本の教師が過剰勤務をしいられているかわかります。元中学校教師より

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    1. 教師だけが過剰勤務ではありません。
      世の中全体が過剰勤務です。みんな余裕がない。だから理解が得られない。
      外国に学ぶ点もあると思います。
      首長を名乗る方は、成績だけではなく、国の宝であるはずの人間をどう地域包みで育てるかを考えた教育を目指してほしいものです。

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    2. >生徒指導と学校行事と部活動です
      私も元中学教師ですが、忙しい中に「評価」が無いのですか?
      「絶対評価」が物凄く大変だった記憶があります。
      最近は知りませんが、テスト問題を作る時も「観点別の問題」を作りました。
      そうでないと、「観点別の評価」が出来ないのです
      「観点別の評価」が出来ても、次にそれらを合計して教科の成績を出します。
      合計する際も、単純合計ではなくそれぞれのテストのそれぞれの観点に「重み」を付けて合計します。
      重みを付けて、問題の難易等のばらつきやレベルを考慮するためです。
      普通のテスト以外に教科によっては「実技テスト」や「レポート」「作品」等がありますね。
      生徒指導が一番疲れた記憶がありましたが、ここではかけ値無しの「人間同士のぶつかり合い」でもありました。何とか更生させたいと・・・
      次はこの評価でしたね、大変だったのは。
      学校行事も大変だったけど、こちらは楽しみも多かった記憶があります。

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  12. 教員です。 周りをみてると妙に生真面目です。残業手当も出ないのに夜遅くまで働きます。こどもがいるときは年休をとりません。夏休みにとります。 インフルエンザでも学校に来る人もいます。これって迷惑です。
    私の提案 5時には帰りましょう。 年休は月に1回とりましょう。(夏休みは学校に出勤したほうがよいでしょう。子供がいなければ気楽なものです。学校職員室でのんびり過ごしましょう。家でエアコン使うより電気代の節約) それが心のリフレッシュです。事務的な仕事は、授業中にやりましょう。 図工の時間など結構はかどります。体に心にゆとりができると
    こどもにやさしくなれます。こどもにやさしくするとこどもは学校が楽しくなります。こどもが学校に楽しく来ると担任も楽です。 ※ 教頭や校長になっても給料はさほどあがりません。無理して管理職を目指す必要はありません。 でもなればなったで楽できます。ねらいめは教頭です。一見大変なようですが、授業はないし、責任は校長におしつけることができるし、事務的な仕事ができる人はかなり楽です。

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    1. そうやって生きて楽しいですか?
      楽しいと感じられているのであれば、その性格がある意味、羨ましいです。
      ですが、一度きりの人生、そんな生き方はしたくないかな・・・

      ちなみに、本当に教員なんでしょうか?
      私、教員ではないですが、私の見る限りでは教頭先生は多忙です。
      手が空いている分、あらゆる雑務をしなければならない分、大変です。
      私の知る教頭先生はPTA、地域団体の役員、保護者からのクレーム対応、怪我した児童の付き添い等々、ありとあらゆる雑務をこなしていました。
      しかも、校長先生か教頭先生のほぼどちらかが毎週土曜日に来られてましたけどね。

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    2. 教員になったのは子供が好きだから 教えることが好きだからで 子供たちはとても慕ってくれるし 大人になっても昔の話をして 先生 先生って声かけてくれて 祭りになると教え子がよってきて大騒ぎです。 
       アフター5時は 趣味の世界です。
      私は、短歌では自費出版で本も出しました。 家族も大事にしてみんなで仲良く生活しています。孫もできました。 とても幸せですが、何か問題ありますか。

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    3. いえ、いえ、何も問題はありません。
      と言いますか、お孫さんがおられる時点で私よりご年配の方のようですので、私なんかが何かを言える立場ではありません。
      自分だけがそんな余力を残した生き方はしたくない、と私自身が思っているだけです。

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    4. 教頭の PTA、地域団体との折衝ですか あまりたいへんだとかんじたことありません。 地域の方々なので 昔話をしたり、思いがけない出会いがあったり、飲み会なんて盛り上がります。 土日の学校の見回りですか。 大体毎週しますが、孫と飼い犬を連れて行って グラウンドに離して ドックランですね。ちかいですので、買い物がてらとか、旅行の行き帰りとかあまり苦痛に感じませんが何か問題ですか。

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    5. 私は問題ないと言いいましたが?
      人それぞれですので・・・それは経験豊富な貴方の方がよくわかっておられるでしょうが。
      大変な苦労をご経験されて現在の要領を得られたのか、それとも、元々それだけの能力を持っておられたのかは存じません。
      文面から、周りは苦労されているようなのに貴方は余力たっぷりな感じをうけましたので、私にはそんな生き方はできないな・・・と思うだけです。

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    6. 息を抜けるから、人は優しくなれる。楽しく生きて何が悪い。子供は敏感。張り詰めてる人には、緊張を強いられるだけだ。教頭は大変じゃない。楽しいんだよ。子供はそう言う人に憧れ懐くんだよ。楽しんでいる、そこにはイジメはないんだよ。弛緩だけではどうかだが、躾ける前に、叱る前に、子供達と一緒に想いに喜び、不義に怒り、性に哀しみ、人に楽しめ。そして学びの有難さ、尊さ、人間のみの連綿を知れ。

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    7. 同一人物ですか?
      悪いとは、私は一言も言っていないのですよ。
      ただ、私には真似できないと言っているのです。
      同僚、後輩、もしくは先輩は、それで困っているんです。
      それを放置しては帰れないな・・・と思うだけです。

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    8. これって、遵法闘争ですか?
      授業中に事務仕事をしているって、本当ですか?
      授業をしないでですか?
      私も教員をしておりましたが、授業中に事務仕事などする暇はありませんでした。理想的ではありますが、このような教員は、「仕事のできない教員」として周囲からは認知されていました。きっと、とても仕事環境の良い学校に勤務されていたのでしょう。皆で助け合って仕事をしても、とても追いつかないのが現場の現状です。

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    9. 今はもう退職されている方がお仕事されていた時代はそうだったでしょう。
      退職間際の先生は仕事も余り振られませんし。
      今の状況には当てはまりません。

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  13. ↑↑さすが教員のみの世界で生きておられる方のご意見ですね。
    世の中のサラリーマン、20代から50代を見てごらんなさい。
    5時に帰る、有給は月1回とる、そんな理想で生きている方があなたの周りにいますか?
    もしいたとすればその人は必ず「仕事の出来ない人間」です。
    教員と世のサラリーマンを仕事上知っている私には、
    少なくともあなたのおっしゃる提案で「有能な人」はいません。

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    1. 教員の仕事って何?
      仕事のできる教員ってどんなの?

      前述の教員の方は有能、無能など全く触れられていませんよ?(笑)

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    2. 自分らしく 自分がしたいこと ほんとはそれを職業にすればいいのだけれど
      なかなかそうはいかないので、教員でも 教員は給料は安くても自分の時間がとれるから好きなことができるから 家族と趣味を大事にすることはだめですか。 教員としての仕事は5時までにきちんとおえるようにがんばっています。

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    3. ↑↑あなたは自分が相当有能だ、利口だと言いたいのでしょうが、よく知らない人が見たときに教員や教育に失望し、又は見下すような原因を作っているだけです。
      皆、愚直ながら普通に、まじめに議論しています。
      ひねた意見をひけらかすだけなら、退場してくださるようお願い申し上げます。

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    4. いわれている意味がよくわからない。 この人の言いたいことは、勤務時間を守って たまにはやすみましょう。ということでしょ そうしなければ過労になって病気になったり心の病になったりするということですね。 現場でもどんどん年休をとるように 早く帰るように指導しています。 あたりまえのことですが。

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    5. 時間外は是ではない。定時できっちり仕事を上げるのが有能な人間だ。時間外を貪る人間は、言い訳を付けてダラダラ仕事をし、手当を稼ぐ無能者。有能な人間は時間外に仕事などしない。但し、経営者は別。

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    6. ↑↑残念ですが、教員は仕事量が一定だったり、ノルマや具体的な数字目標があったりしません。もちろん、教育目標は、大は文部科学省から児童・生徒一人一人に至るまできちんとあります。有能であればあるほど、細密から粗大までより多くの時間や手間が必要となります。いくらきっちり仕事をあげて時間内に済ませても、それは有能とは見なされません。それほど簡単に割り切れるような仕事ではありません。
      もちろん、管理職は別です。

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  14. 私は10年目を超えた教員ですが、とりあえず病気もなく、今まで過ごしています。
    私がいらないなぁと思うのは部活動ですね。教員の中には、自分の専門を教えたいから教員になったという人もいます。でも多くは専門外の部活を任されます。保護者は強くしてほしいという気持ちがあるかもしれませんが、専門外であるが故、適当なことしか言えません。そんなときに相手側のベンチを見ると、専門の先生が悠々と教えている。。。自分じゃなくて、あの先生に専門的に教えてもらったらもっと伸びるのにな~と思うことはこれまでもたくさんありました。じゃあ覚えればいいじゃんというかもしれませんが、そんな専門外のものを教える余裕あるなら、専門のものをもっと学びたいと思うほうが教員じゃないですか?教員採用試験に部活動なんて項目は体育教員でもなければないんです。専門教科をきちんと教え、勉強するのが仕事のはず。でもこんなこと言うと、部活動やってる先生方からは、本気でやってないとかいうんでしょうね。ただ多くの運動競技で、プロ級あるいはオリンピック級の活躍しているのは、クラブ出身者だと思います。あるいは、専門家のいる私立校とか・・・。部活動崇拝主義から抜け出すことができれば、もう少しいい循環になると思っています。

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  15. いろいろご意見は有るでしょうか、やはり教員というのは特殊な仕事で、それゆえ相応の覚悟が無いとできないものだと思います。
    その覚悟がないまま教員になってしまっているために、心の病で休む先生方が増えていると思います。
    学校に対して意見を言おうものならすごい勢いで攻撃される現実に、マスコミが煽って使うモンスターペアレンツやクレーマーという言葉が独り歩きしてるようで、あたかも保護者が全部悪い的な雰囲気がとってもイヤです。
    先生の質はきちんと確保して欲しい。
    人としておかしいと思われるような人物が校長になる現実。
    子供がかわいそうです。
    心の病を発病する先生はとても気の毒ですが、心の病のせいで上の空だったり急に怒ったり急に笑い出したり挨拶もできず子供と積極的に触れ合おうともしないような先生に担任され、フォローもしてもらえない子供達の方がよっぽど気の毒でかわいそうです。
    学校は子供のために有ると思っているのですが、どうも違っているようです。

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    1. 教員は特殊な仕事で相応の覚悟が必要だ、という意見は最もですが、それは他の仕事でも大差ないと思います。
      「その覚悟がないまま教員になってしまっているために、心の病で休む先生方が増えている」というわけではありません。教員免状を取得し、教員採用試験を合格した時点で、それなりの覚悟はできています。残念ながら,現場はそれに対応できなくなっている現実でしょう。
      「先生の質はきちんと確保して欲しい。」確かに、人としておかしい教員がいることは事実です。しかし、ほとんどの教員は、精一杯、努力し、頑張っています。それでも、どうにもならなくて心の病になってしまうのです。その前に色々なフォローをしてもらいたいものです。
      子供たちのことを考えるからこそ、休職したり退職したりしているのです。

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    2. 返信ありがとうございます。
      教員は特殊な仕事で相応の覚悟は必要だと思いますよ。
      他の仕事と大差ないとは全く思いません。
      何故かといえば、将来を担う子どもたちの人格形成に多大な影響を及ぼすからです。
      特に、小学生は先生によって変わります。
      昔はどうだとか、今の学校現場は何とかとか、もっともらしく言われますが、それは他の仕事も大差ないと思いますよ。
      時は流れ、時代時代で変わるのだから、対応していかないといけないのはどの業界も同じではないかと思います。
      もちろん、良い先生もたくさんおられると思います。

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    3. 教員は出来れば数年民間で働らき、人間的に苦労した人や職場等のサークルなどで絆を深める活動をした人などが良いかもね。
      新卒も良いのですが、社会的経験が少なく、即担任になった場合など大変そうですね。
      まぁ、これらはその人その人で異なることは言うまでもありませんが。

      何といっても生き生きした授業を目指す事が最大の仕事ですね。
      これなくして、生徒指導も出来ませんから。
      後は、生徒と一緒になって学校行事を取組めると更に信頼感が出ます。
      更に同僚とは、たまにはノミニケーションがあればさらによし学校も楽しくなるはずです
      私は、特に問題が無いときは定時で帰りよく飲みに行きましたね。
      過去形ですが・・・

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    4. 私も教員をしています。ノミニケーション。。。できればいいんですが、交通網がそれほど発達していないので、学校は不便な場所にある場合が多く、通勤には車ありきです。そうすると、簡単には飲みに行けません。。。車がなければ、業務に支障も出ます。。。県が自家用車を借り上げて交通費を支給するような県ですから。。。

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  16. 1、職員会議は、ベテラン先生だけが出席し、決定事項は回覧板で広報したら如何ですか。
     または、土曜日に出勤してやったらいいでしょう。月2回位に限定して。
    2.事務は、定型化して、出来るだけ、マルとバツとか、ABCで片つく様に工夫しましょうョ。
    3.モンスターペアヘンツは専門の担当を設けて対処しましょう。工夫がたりません。

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    1. 提案は良いと思います。しかし、どうなのでしょう?
      1.職員会議・・・云々。実際には、事前に担当教員が起案し、管理職まで承認印をもらい、運営委員会というベテランの先生の会議(各校務分掌課長以上)を通し、最後に職員会でほぼ告知に近い形で承認されるようになっています。(以前の勤務校)休日出勤の扱いは、法律等の問題でクリアしにくいと思います。(ちなみに土曜授業も色々問題があるようですが?)
      2.事務の定型化は、実施されていますが、県教委や文科省からの調査などは限界があります。(かえって手間をとって時間がかかるケースが多い。)
      3.大半の学校は、モンペアの担当は管理職が中心で対応していますが、結局、学年主任、担任と連携しなければならず、専門担当を設けるマンパワーが、現場での現実です。(一部マスコミ等に取り上げられるモデル校などもあるようですが)
      現場では、旧弊を改め改善しようとする努力をしていますが、残念ながら、そんなことをする余裕さえなく、教員は、ひたすら疲弊をよ余儀なくされています。
      休養や自己研鑽にまとまって使えた夏休みなどの長期休暇も原則出勤となりました。教員には、公の研修(校内・校外)以外、研究会への出張もほとんどなくなり(予算の関係らしい)ステップアップや自己研鑽の取り組みも思うようにならなくなりました。
      覚悟だけでは、教員はやっていきません。常に、情報収集し勉強しスキルアップをしなければ教員1年生で作ったノートだけで授業はできないのです。

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    2. >1、職員会議は、ベテラン先生だけが出席し、・・・
      >3、モンスターペアヘンツは専門の・・・
      2以外は、私とまったく反対の考えです

      1、について
      ベテランと管理職にまかせてどんな学校を作るのでしょうか。
      ベテランとはどんな先生ですか
       A)年配の方・・・・・・・・・・・・・・年配が若い人を含めた広い考えで
         討議できる人とは限りません
       B)管理職に認められてる方・・この中には上方志向の人もいるでしょう
         後はAと同じ
      いづれにしても、自民党などが教育現場をコントロールするための考え方と軌を一にします。
      私は、私の考えも含めたみんなで決める方向が望ましいと考えています。

      3について
      この様な考えは一体どこから出てくるのでしょうか。
      単に仕事が楽になればよいのではなく、自分の成長なくして生徒の成長もない、ぐらいの気持ちが無いといけないと思います。
      まかせっきりでは自分の為にもならないという事です。

      教育現場も合理的にしたいものですが、人間が絡むこの現場は単純に合理的なだけではうまくゆかないことがありそうだと思っています。

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  17. 退職した元教員です。昔は、のんびりした余裕を持った教員生活ができたようです。私が教員になった大きな要素の一つに、教員には夏休みがあったからです。それ以外は部活動の指導などで、放課後や日曜日も休まず、仕事していたようです。私が退職す頃は、夏休みでも休めなくなりました。仕事が無くても、出勤して仕事をやっているようなカッコウをしています。教育委員会も学校の管理職も、周りばかり気にしています。
     アメリカでも他の国でも(私は多くの国に行きました)、夏休みには、教員は学校に来ていません。学校は閉鎖されていると、誰も思っています。教員はこの休みで事故の研修にあてたり、自由に使っています(日本では、日曜も、夏休みも教員は学校に来ているとおどろかれました)。
     教員には夏休みがあるとした方が良いのではないですか(一般の人にもほしいわけですが)。
     私の知っている国の多くでは、教員の日と言うのもありました。
     もっと、教員に自信を持たせるようにしてほしいと思います(勝手なことを書いたかな)。

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    1. みんなが帰らないから帰れない教員もいるみたいです。周りに気を使いすぎです。   日教組が弱くなって管理体制が強化されたのかな?

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    2. 最近は日教組ばかりか、民間の労組も鳴かず飛ばずです。
      学生だって静かですね。良いのか悪いのか。
      労組の役員が安住してるから? 
      組合員が問題意識を持たないから?

      日の丸問題もしかり。

      経済が発展すれば全てよし!

      だから原発も再稼働
      近隣国と緊張感を高めて武器づくり
      集団的自衛権・・・戦争を呼び込む政策
      残業代もなくなりそう

      そう、全てが企業のために、企業家の為にと
      これは今起こっている現実です
      こんな危険性が日本のあちこちに見かけます
      ダメ人間にさせられそう
      みなさん頑張りましょうね。

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  18. 小学校の教員をしていましたが、大変なのは軽度発達障害と言われる子どもたちへの対応です。これの疑いのある子がクラスに数人は必ずいます。おとなしい子ならば問題ないですが、粗暴な子がクラスに数人いると大混乱です。そういう子は理屈も通りませんし、保護者も見たいものしか見えないので、子どもが可愛いのかもしれませんが、障害を認めようとしません。まじめな子たちの学習権と安全が確保できず、大変苦悩しました。

    困った挙句に、助けを求めても管理職によっては、授業が悪いだの、指導悪いだの、ソフト面の改善要求のみで終わります。大きな事件が起こるまで、人もまわしてくれませんでした。

    インテグラル教育や人権が叫ばれる世の中ですが、差別と区別はつけて、それぞれに合わせた適切な教育が有ると思います。何でもかんでも一緒に、平等にということが行き過ぎて、学校はそれに対して、毅然とした反論もできずにいます。特に義務教育はその傾向が強いです。

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    1. 【訂正】
      >差別と区別はつけて
      →差別特別は違います。

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    2. 【訂正】
      >差別と区別はつけて
      >→差別特別は違います。
      →差別と区別は違います。

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  19. みなさま、コメントありがとうございます。
    いきなりの出来事でびっくりしました。
    ある日突然、わたしにとってはすごい数のメールが届いたかと思えば、すべてブログにコメントが来ました、という通知。
    びっくりして管理画面を見ると、たった一日で今までの総アクセスを超えるまさに桁違いのアクセスがあり・・・なるほど、ヤフーのどこかにリンクが貼られていたのですね。
    自分の日記というか、心の整理と言うか、防忘録というか、そんなつもりで書いていたのですが、たくさんの先生や社会人の方に考えていただいてうれしく思います。プロフィールにも書いたのですが、とかく校門の向こうは見えにくいと思います。少しでも見えやすくする、また問題提起できる、そんなブログを心がけます。

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  20. ここに投稿する人のほとんどが「匿名」ですね
    「匿名」以外にもここでの自分のIDが使えると、「同じ人」かどうかは判断できます
    サイトの方、ご一考を。

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    1. 私も匿名ですので・・・ご不便かけます。
      しかし、匿名だから言えることもありますので、ご容赦ください。
      お名前を入れていただいている方は、ありがとうございます。

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  21. 教える人さんへ

    A >まず、業務とくに報告や会議をスリム化すること。
    B >次に保護者対応の専任担当者を置くこと。
    まずAですが、これ分かりますが、一くくりでは心配ですね。
    特に、学級指導や生徒指導の研修は充実させる必要があります
    職員同士の笑い声の聞こえる、交流会的研修も必要ではないでしょうか。

    Bですが、「あなた任せ、専任任せ」の教員が出来てしまいますよ。
    苦しくとも、誰かに支援してもらいながらでも、自分が対応しないと勉強になりませんし成長も出来ないと思いますが、如何でしょうか。

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    1. コメントありがとうございます。
      研修は自分の学びたいという意欲と目的に合ったもの、そして思いもよらなかったような内容のもの、さまざまなので時間と体力の許す限り、充実したほうがいいと私も思います。
      保護者対応の専任担当があったほうがいいと思うのは、第三者的な視点からソフトランディングに導くためです。もちろん、その人に丸投げするわけではありません。しかし、教師は昼間は授業があり何も対応できませんが、保護者の方々はその間も悩みを抱えることになります。早め早めの対応ができるかとも思います。
      さまざまな意見を多くの人間で発信し、交流し、考えていきたいですね。

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  22. 新採1年目の教員です。
    採用は中学校なのに何故か特別支援学校小学部で担任をしています。
    教える人さんの指摘するように、小学校教員では女性の戦いというか、女の敵は女という状態です。噂話や悪口の応酬、気に入らない教員の所業を管理職にチクる、職員は平等で対等であるはずなのにお局教員を頂点としたカースト。意味の無いローカルルールの強要。
    「これが社会の常識だ若者は従うべき」と言われても民間に勤めていたころはこんなパワーハラスメントのようなことはありませんでした。
    上司と部下という線引きはあってもここまで理不尽ではありませんでした。

    正直もうついていけません。

    辞めてしまいたいです。

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  23. 採用は中学でも、赴任は別の特別支援学校や小学校という先生を私も何人か知っています。モチベーション維持の難しさや、採用から3年くらいは異動できず出遅れてしまうといった焦りを抱えて悩んでおられました。
    私は小学校ですが、若い女性の先生たちがベテラン女性教師の方々にみんなの前で注意されたり、別室に呼び出されたりするのを何度も見てきました。きっとその方々もそうやって若い頃をくぐり抜けてきて「わたしたちだって、そうやって教えられた」というような理論を振りかざしているのではないでしょうか。
    私なんぞがアドバイスなんてできないのですが、一つ言えるとすれば、少し年上の気の合う、そして頼れる同性の先輩を見つけることです。女性全員がそんなカーストに満足しているはずはありません。特に年の近い人たちは。そして、辛い1年目2年目をどうやってやり過ごしたのかを聞いてください。
    あなたの心が少しは軽くなりますように。そして、近い将来、本願の中学へ異動できますように。

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    1. 返信ありがとうございます。あれから一年が経ったのですが、何とか乗り越えて2年目の小学部で働いています。昨年のうちには信頼できるような先輩は見つけられませんでしたが、本年度は移動が多く、お局様も移動となり、職場の環境がガラリと変わりました。私は自分が嫌がらせをされてとても苦しかったので、今年の新採には私と同じ体験はしてほしくないので、出来る限り自分の資料を貸したり、授業研の周辺などはなるべく負担をかけないように授業を代ったり、職員室で孤立している先生に話しかけていたりしています(大規模校なので新採の数も5人と多いのです)。それでも6月から病休になった新採さんがいて心を痛めています。昨年の台風の目みたいな先輩方は1ミリも尊敬できないけれどいい反面教師になりました。
      まだ2年目なのでこれからどうなるかわかりませんが、とりあえず教師は続けています。とても苦しい新採の1年間でしたが良い体験になったのかなとも思っています。
      ありがとうございました。

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    2. 私は小学校採用で特別支援学校の中学部に配属されました。しかし、校長の人事ミスだと発覚し、年度途中で小学部に配置転換されました。特支はみんな狂って
      る。

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    3. 私も中高採用で特別支援学校の小学部です。人事の理不尽さに怒りを覚えます。なぜせめて中学部か高等部に配属してくれなかったのか…

      支援はTTだから人間関係が面倒くさいですよね。はやく普通学校に異動したいです。

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  24. 教師というのは非常に大変なお仕事なのですね。
    このように、人間関係のストレスや、激務で精神を病んでしまう。
    同じようなことが民間でも起こっています。
    これは学校だけの問題ではなく、社会全体の問題ですね。
    それで燃え尽き、休職となってしまう。辛くても現場を離れるなというような意見は私は反対です。
    私が小学生だったとき、精神を病んだ先生の受け持ちになり、頻繁な欠勤や気分の波次第で恣意的な評価をされることにより、学級全体の価値基準判断基準が崩壊してしまったことがあります。
    そのような先生は、現場を離れるか、少しお休みをしていただくのがよいというのが私の意見です。
    ただし、私は納税者として、そのように、方に給金を払う事については反対です。
    現場を離れ、「先生」として機能していない方は先生ではありません。
    お金というのは社会で何らかの義務を果たしたものがその対価として得るものであり、どのような大変な状況があったにせよ、結果的に義務を果たしていない方に金を払っていては、社会がおかしくなってしまいます。
    少しうがった意見かも知れませんが、退職ではなく「休職」という手段を選ぶ先生がおおくいらっしゃるのも、仕事をせずに給金をもらう、という選択をする方が多いからではないかと私は思っています。
    立場を利用して不労所得を得る位なら、辞めて下さい。
    厳しいことを言うようですが、私は、そのような人は、この世からいなくなってほしいとさえ思っています。

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    1. コメントを長いこと放りっぱなしですみません。
      小学校のころに辛い経験があるとのこと、お気持ちが分かります、とはとても言えませんが、状況は想像できます。特に「恣意的な評価」というところが。
      わたしも、病気になられた先生には少し現場を離れてもらうのが良い方法なのではないかと思います。現場でなくとも仕事はあるはずですし。
      不労所得とは厳しいご指摘ですが、安易な選択肢として休職を選ぶ教職員はいないと信じたいところです。教師が気持ち良く働けるよう、あまたある小学校のうちのたった一つの小学校の一教師ですが、努力していきます。

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  25. 日本のやり方が悪いからだ。学校で好き放題にするガキは学校に来させない。好き放題にするガキを引きずり出す警備員を学校に配備することだ。まずは学校が落ち着きを保てるようにする必要がある。教師に何でもかんでもやらせるのが大きな間違いだ。喧嘩を止めるのは警備員に、役割をちゃんと分担したらいい。クラブは専門家がやる。日本は一人の教師に何でもかんでもやらせすぎる。オールマイティな教師はいない。教師は教えることに力を入れる環境づくりが必要だ。

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